ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

生徒のボランティア活動参加を、学校はどのようにサポートできるのか

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地元のお祭りに生徒たちがボランティアとして多数参加をしているので、本日は顔を出してみました。祭りを楽しむ単なる一市民として。

みんな炎天下の中、あくせくと働いていました。

 

 

10連休の過ごし方も色々 

 

前代未聞の10連休。勤務校の進学コースに籍を置く生徒たちにとっては、夏休みよりも、年末年始の休みよりも長い連休になります。なぜならば長期休みには補習が組まれるから。

そんな降って湧いたような大型連休ですが、その過ごし方は生徒によって様々です。家族とともに旅行に行く者あり、部活動に精を出す者あり、ひたすらに休養に充てて日頃の疲れを癒す者もあり。各々が希望を胸に、自分のしたいことを思う存分するためにこの連休を過ごしているはずです。そして、そんな中ボランティア活動に従事するという選択肢を選んだ生徒は本当に関心だなと教え子ながら尊敬します。(まぁ、自治体主催の大きなお祭りのためにいくばくかの手当が出ており、それが目的の生徒もいるようですが。)

貴重な休日を、自分自身のためではなく社会奉仕のために費やすという決断は、なかなかできないことだと思うのです。

 

 

生徒の意識の変化に教師はどこまで関わるべきか

 

もちろん、このように多数の生徒がボランティア活動に志願した背景には、「奉仕精神の発露」という内的要因によるものもあるのでしょうが、「大学入試」という文脈における「教員からの働きかけ」という外的要因によるものも大きいように感じます。

学力偏重からの脱却に主眼を置いた一連の入試改革。新入試第一世代である現高校2年生の代は、高校在学中の活動履歴が受験において大きな意味を持つようになります。高校での学びを座学のみで完結させることなく、実際にどんな行動を起こし、どんな活動を繰り広げてきたのか。その中で何を感じ、どう考え、どのように成長してきたのか。そうしたことをポートフォリオとして蓄積してゆくことが求められるようになってきます。

 

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なもんだから、 ただ知識だけを吸収することに終始して頭でっかちになってしまわぬよう、昨年度はあれこれと手を変え品を変えて生徒自身の資質や能力を伸長すべく奮闘した一年でした。国語の授業のスタイルも大きく変えていくよう意識し、毎日の声掛けやクラス運営のシステムも、なるべく生徒の主体性を刺激することで成長を促すようあらゆる工夫を心掛けました。どうすべきかの正解が分からぬ中、葛藤しながらも手探りの状態でなんとかかんとか駆け抜けてきた印象が強く残っています。暗中模索とはこのこと。

 

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 その成果の表れなのかどうかは判然としませんが、これまでの進学コースの生徒たちに比べれば、あらゆる課外活動に積極的に関わっていこうとする姿勢が見られるようになってきたのは確かです。

(「教師が課外活動への参加を促す」ことの是非については、今回は脇にどけておくことにします。)

 

 

ゆとり教育との決別を

 

ただ、気を付けなければならないのは、「ボランティアに参加させればそれでよいというわけではない」ということです。あくまで生徒の主体性を育むアプローチの一つとして「ボランティア活動への参加」があるわけで、参加すること自体を目的に据えてしまうと、本末転倒な結果を引き起こしかねません。それでは、学習内容の大幅削減や週休二日制を断行した結果、目も当てられない惨状を引き起こした「ゆとり教育」の二の舞です。「ゆとり」を作ることが目的化してしまい、その先にあるべきの「そのゆとりで何をさせるのか」「そのために学校ではどんな力をつけさせるのか」といった考えが欠落していたわけです。

 

 

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あらゆる社会的活動への参加それ自体も非常に大事なことですが、そうした活動の中で自分の主体性を存分に発揮できるような能力や心構えを、日頃の学校での活動の中でしっかりと養ってあげられるかどうか。これからの時代はそうしたところまで考えながら教育活動をデザインしていかねばなりません。

 

 

今はただ見守るのみ

 

昨年担任をしていた生徒たち。彼らが祭り運営のスタッフさんとテキパキとやり取りをしていたり、祭りにやってきた様々な方々に臨機応変に対応していたりする様子を見ると、一年前からの大きな成長を感じ、思わずこみ上げてくるものがあります。

普段の学校では見ることのできない生徒の姿から、これまでの教育の方向性が間違ってはいなかったのかなぁと少し救われた気持ちになります。そして、今後更に大きく成長してくれるであろう子どもたちの大いなる可能性に頼もしさを感じ嬉しくなってしまいます。

こうなると、正直な話、この子たちの担任を持ちあがれなかったのが悔やまれるところ。まだまだ成長していく様子を間近で見ていたかった。が、過ぎたことをうだうだ言っても仕方がありません。今の立場で、この子達にできることを考えていくだけです。

 

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祭りの企画会議に参加をした生徒もいたようですが、昨年度の現代文の授業で行ったプレゼンやスピーチの授業は役に立っただろうか。日頃から散々強調した「他者意識」を働かせながらポスターや資料を作成できただろうか。老若男女、相手に応じた適切な言葉や表現内容の選択が行えているだろうか。情報機器による効果的なスケジューリングやタスク管理はうまく使いこなせているだろうか。口を酸っぱくして伝えた「振り返る」ことの重要さを覚えていて、それを今回も行えているだろうか……。

 

一市民として祭りに参加している以上は、余計な口出しはできません。今はただ、かつて授業で行ったことが、彼らの中に生きた力として根付き、それが発揮されることを祈るばかりです。