【目次】
世間は10連休で盛り上がっているようですが、そんな俗世のお祭り騒ぎなど、どこ吹く風。こちとら今日も今日とて部活動遠征です。部活動顧問に休みなんてものはありゃしません。
早朝から日没までの拘束時間12時間越えは正直キツい。休日のほうがキツイというこの矛盾。このブログも、ここ数日は単なる雑記が続いていることから分かるように、最近はあらゆることに忙殺され、単純に時間がありません。明日も朝から晩まで遠征、嗚呼。
積読本がますます増えてゆく。たくさん休める人が羨ましい。
別に、「部活動そのもの=悪」ではない
「教員の働き方改革」とセットで、最近やたらと槍玉に挙げられる部活動。最近では「廃止すべき」といったような強い主張も散見されるようになってきました。
もちろん私も、部活動を取り巻く環境は大いに問題アリと考えているわけで、現状の問題点を洗い出した上での改革は可及的速やかに行うべきだと思います。
ただ、勘違いして欲しくないのは、部活動そのものが悪いわけでは決してないということです。
かつての日本は、「知・徳・体」の教育を一手に担うシステムを洗練させてゆき、そんな日本の教育は世界からも高い評価を受けました。ただ知識を習得するにとどまることなく、社会で生きる能力を育成する場として「学校」をデザインする。その目的を達成するために、「部活動」が有効に機能していた時期は確実に存在します。健康的な心身の鍛錬や上下関係を重んじた礼節を涵養する場として、「部活動」には一定の意義が見出されていたはずです。
根本的、あるいは本質的な部分では、「知識偏重」からの脱却を期して推し進められている現代の探究学習などにも通ずる理念がそこには込められているように思います。
私もかつては中高でバスケットボール部に所属していましたが、その時の経験は、「最後まで諦めないことの大切さ」や「計画を立てて物事を両立させていくために必要な考思考法」、「集団でチームを形成し、一つの目標に向けて協働していく充実感」といった、座学のみでは決して習得しえなかった大切なことを学んだように思います。
部活動での厳しい練習を耐え抜いたという経験に基づく自信が、辛く苦しい時に自分を支え、奮い立たせてくれていることを常々実感します。
※誤解なき用補足しますが、決して「部活礼賛」のような押しつけがましいことを言いたいわけではないということです。あくまで一個人の思い出話としてご理解ください。
時代は確実に変わっている、部活は変われているか?
ただ、いかんせん現行のシステムは今の世では時代遅れになっているのは否めません。
折に触れ、幾度となく主張していますが、教育の現場は時代の流れとともに常に変化しています。そして、学校のシステムはその変化に適切に対応できているとは言い難い現状にあります。単純に言えば、「すべきこと(という世間からの圧力)」は増える一方で、「しなくてもいいこと」が全く改善されていない。そんな歪みがあちこちで表面化してきているのが、現在学校現場の抱える構造的欠陥であると言えるでしょう。
最大の問題は、部活動が「課外活動」の一環として正規の勤務時間外に行われていることでしょう。部活動の顧問は「校長からの委嘱」という形をとっているため、その実態は業務の一部としての扱いを受けておらず、実質は単なるボランティアです(一応、一定の条件下においてのみ、雀の涙ほどの手当は出ます。が、完全に労力に見合っていない)。そんなわけで、ただでさえ多忙化・煩雑化が進んで困窮に喘いでいる教員を、更なる労働へと駆り立ててしまっているのが現状です。
ともかく、時代が急速に変わっているのに、旧態依然な手法を採り続けている現在の教育の在り方は大いに問題ありと言えます。
そんな背景があるわけですから、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の精神よろしく、「部活動」という言葉そのものに拒絶反応を示している人が結構多いのもある意味では当たり前といえます。気持ちはすごく分かる。
かつては教員の善意によって運営されていた部活動ですが、今の時代では「それどころではない」として反感を買っているのが現状です。
私自身、日々の授業研究やクラス運営と言った「頭脳労働」でクタクタになっているわけであり、そこに部活動指導のような「肉体労働」を課されるのは正直言ってかなりの苦痛です。
若い頃は体力もあり、まだそんなに重要なタスクを割り振られていなかったために何とかなっていましたが、現在の業務量・業務内容から考えれば、もうとっくに私自身の能力で許容できる限界点は越えてしまっています。これはただただキツイ。
思考停止では何も変わらない
なかなかこの問題が解決の兆しを見せないのは、同じ教員であっても、全く正反対の考え方があることに起因しているからなのではないかと感じます。
部活動をやりたい人は、従前の手法を踏襲した上でとことんやろうとする。
一方で、部活動をやりたくない人は世論を味方につける形で、ただ急進的に「廃止すべき」と声高に叫ぶ。
もう嫌というほど見てきた対立構造ですが、こんなんじゃ絶対に良くなるわけがない。どちらも単なる思考停止です。
ここには「共に納得できる打開策を練り上げるべく、対立概念を止揚する」という考えがごっそりと抜け落ちているわけで、互いに歩み寄ろうとせずに、結果としてただの我の通し合いにも似た不毛な戦いが全国各地で勃発しています。
年代によっても、考え方は変わるし、何なら同一年代でも部活動に対する想いは千差万別と言えるでしょう。意見を一つに統一するのはなかなかに骨が折れそうです。
じゃあどうすべきか
あれこれと偉そうなことを言いましたが、現実問題として「部活動」はもう既に学校教育のシステムにすっかりと組み込まれてしまっているために、そう容易に改革ができるものでもありません。個人の力でできるとことなど、焼け石に水。たかが知れています。
これはもう、国や県などが本腰を入れて改革に向けて動くしかありません。外部のスポーツクラブに委ねたり、外部の指導員を充実させたりすることは勿論のこと、顧問をする教員は出勤時間を数時間遅らせるなど勤務時間を柔軟に設定したり、手当の額をもっと現実的な金額にしたりなど、枠組みそのものを大きく変えていく必要があります。
個々人の感情論だけで、「不要」とみなしてごっそりと取り除いてしまうやり方は、シンプルである一方で非常に危険です。「壊すは易し、直すは難し」は世の心理。無くしてから問題が発生し、「やっぱり必要だったじゃないか」と文句を言ったところで後の祭りです。現状分析や深い議論を重ねた上での慎重な対応が求められます。
やはりまずは、個人の感情ではなく集団の論理を見据えた上で、論理的に議論をしていくことが必要になってくるのでしょう。感情論だけを振りかざすようでは、システムの枠組みそのものが大きく変わったとしても、根本的な解決にはなり得ないと思うのです。
なかなか先の見えぬ部活動に関する議論のあれこれ。
一刻も早いシステム全体の改善を祈りながら、とにかく今の段階は、個人レベルであれこれと工夫をしながらやっていく他なさそうです。