ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

流動性の高い職場でオンリーワンを目指してはならない

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仕事を後任に引き継げなくなってしまうから。

引き継いでも、絶対に定期的に質問攻めにあうから。

結果的に、いつまでもその仕事から逃れられなくなるから。

悪い意味で一目置かれ、誰も後からついてきてくれなくなるから。

そして、それらすべての現象が組織全体のレベルアップを妨げるから。

 

頑張れば頑張るほど報われなくなるこの現象。どんな現場でもあると思います。

これは詰まるところ、頑張りの方向を間違えている、と言ってもよいでしょう。

 

【目次】

 

 

善意が生み出す迷宮

 

同じ仕事を繰り返していくと、「こうすればもっと良くなるのでは?」という発見が数多く生まれます。そしてつい、良かれと思ってその部分をどんどんと改善していきがちです。

ただ、ここには大きな落とし穴があり、自分が今どの位置にいて、どこに向かっているのか、といったことを客観的に把握しておかないと、いつの間にか自分だけしか理解できないディープな世界に迷い込んでしまいます。自分以外にはその業務の仕組みや回し方が把握できない複雑怪奇なシステムが出来上がってゆき、結果としてそこに完全なブラックボックスが完成します。

 

人事が、定期的に配置替えを行う理由の一つに、こうしたブラックボックス化現象を防ぐ、というものがあります。

 

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「誰にでも分かる」を目指す大切さ

 

ユニバーサルデザインという考え方がありますが、これはかなり大切な考え方だと思うのです。

 

自分の積み上げてきた業務を誰かに譲り渡す機会は必ずやってきます。転勤や配置替えなどは日常茶飯事であり、更に言えば極端な話、明日には不慮の事故でこの世を去らないとも限らないわけです。そんなリアルタイムな世界を生きている以上は、「自分のしてきたことを他人に委ねる」という意識は常に頭の片隅に入れておきたいところです。

 

ということで、どんな業務についても、「後に託す」を見据えた上で仕組みを築いておくことは重要な考え方になります。それすなわち、「誰にでも分かる仕組み」を創出することと同義と言えるでしょう。たとえ気心知れた腹心に引き継いだとしても、その人間もいずれはまた別の誰かに引き継がねばならぬ以上は、やはり限られた仲間内で完結するシステムを構築することは危険だと言わざるを得ません。

自分の進めてきた仕事がブラックボックス化してしまっていると、結果として周囲に与える損失は計り知れないものがあるわけです。

 

 

「他者意識」の育成を

 

大事なのは、業務遂行の「手順」はもちろんのこと、その業務に携わる上で求められる「理念」をいかに正確に伝えられるか、でしょう。つまりは、「何故そうなっているのか」や「何故そうしなければならなかったのか」の共有を前提として仕事をすることであり、これには割と高度な「他者意識」が必要になってきます。

場合によっては目線をかなり上げる(あるいは、下げる)必要もあるわけで、これは日頃から訓練していないとなかなか身につきづらい感覚であると言えるでしょう。

 

現代文の授業で記述問題を指導する際には、「小学生でも分かるような表現にすることが理想。『説明したつもり』になっていないかを常に自己点検せよ」と伝えます。記述問題ができない生徒は、大抵が「頭の中では理解しているのに、それが文章として適切に(確実に伝わるように)表現できていない」という独りよがりで不親切な表現に陥ってしまっています。

「自分の意見や発言を、自分ではない他の誰かの立場に立って眺めてみる」。自己点検のためには、そんな視点の自由移動が必要です。そして、そのためには言語による論理的・俯瞰的な状況認識の力が求められるわけで、国語の授業の責任の重さを感じます。

 

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ナンバーワンを目指すのは悪いことではない


先鋭を目指す過程にイノベーションが発生するわけで、人類の発展は少なからずそこに依る部分があります。そうした意味では、発展を目指す思想は重要です。

そして、効率化を目指す以上、既存の業務内容に複雑な処理を加えなければならない局面が必ずあります。問題は、それをいかに誰にでも分かるように落とし込めるのか、ということになってくるでしょう。高度なことを、いかにシンプルなアプローチで成し遂げうるのか。そうしたことをデザインする力がこれからは求められてきます。

そんな人間を育て上げる教育プログラムの構築が、学校現場における喫緊の課題なわけですが、そもそもそうした人材の育成をするための教員間における知見が適切に共有できていない、というジレンマ。まずは我々がそのノウハウを取得するところから始めねばなりません。先は長い。

 


一応補足しておくと……


あくまでも今回の話は、業務の手順や理念を「共有」することを前提とした考え方ですので悪しからず。

他者と大きく差をつけたい、と言ったような競争や差別化を前提としたケースならば、思う存分にオンリーワンを目指すのがよろしいでしょう。何事も、時と場合によりけりです。