年度末と言いながら、気づけば4月がもう目前に迫っている。学校は新年度の準備に向けて大忙しである。
部署移動は突然に
仕事というのは不思議なもので、1つの業務に長年携わり、ようやく慣れてきたなと感じる頃に新たな部署に回されることが多い。
こうした人事の利点としては、
①多くの経験を積ませることによるゼネラリストの育成。
②同じ人間が特定の業務を持ち続けることによるマンネリ(形骸化)の防止。
③発展的創造を促すべく、外部の目を入れることによって新たな風を取り込める。
といったところが上げられるか。意義はよく分かる。
ただ、業務命令を受ける身としては、「せっかく慣れてきたのに……」と感じることも無いわけでは無い。場合によっては「今からやりたいことがあったのに」と、不完全燃焼に陥ることもあったりするわけで、人事配置を考える側もタイミングの見極めが難しい。
欲を言えば、ある程度の予告を入れることで、時間的には勿論のこと、心構えの部分でも移行期間を設けていただければ非常にありがたいものである。
「引き継ぎ」の重要性
さて、そうこうしながら新たな業務に携わっていくのだが、ここで重要なのは「引き継ぎ」をしっかりとせねばならない、ということだ。
勤務校は私立学校ということもあり、転勤が無い。そんな背景もあってか、場合によっては引き継ぎが一切無い場合もあったりする。「もうずっと同じようにしてきているから、それを見てだいたい分かってるよね?」といった感じで、後任者にしてみても、「もし何かあれば前任者に聞きに行けばいいか」というわけだ。
まぁそれは稀としても、口頭だけで引き継ぎを済ませることは結構あったりする。後任者としては、非常に心もとない。
業務の経験値を積み上げ、組織全体のレベルアップを図ることを考えても、やはり目に見える形での引き継ぎが理想的である。ただ、わざわざ引継書を作成するのも面倒臭い。
そこで、「『Slack』などを活用すべきだ!」というのが、私の持論である。詳しくは過去の記事をご参照いただきたい。現段階での思いは全てそこに書いてある。
「仕事は見て盗め」は状況によりけり
「見て盗む」。
この考え方はすごく大切で、いくら言葉で説明を受けても、実際の現場でしか気づけないことは意外と多い。まさに「百聞は一見に如かず」なわけである。
ただ、何でもかんでも「見て盗め」では、それは放任(酷い時は単なる放置)である。ただでさえ通常の業務が忙しいわけで、大抵の人間にはそんな風に誰かの仕事をじっくりと観察することのできる余裕は無い訳である。
「見て盗む」が最大限の効果を上げるには、時間と心の余裕が必要であり、かつての師弟関係はそうした師によるマネジメントがあったからこそ成り立っていたはずなのだ。
現代では、多忙化(業務の細分化や個人の受け持ち量の増加、業界の流れの高速化などが原因か)がどんどん進んでいるにもかかわらず、そのあたりの「見て盗め」的な感覚はあまり変わっていないようにも思えたりする。
盗みたくとも、そんな暇は無いのだ。時代は常に変化し続けていることを忘れてはならない。
「俺の若いころは……」は上司と呼ばれる生き物の常套句だが、「あなたの若い頃とはもうとっくに時代が違いますよ」と言ってやりたい。軍艦相手に日本刀を振り回すことに似た滑稽さがそこにはある。(時と場合にもよるが)
過ぎたるは猶及ばざるが如し
そして、これはまさに学校の教育にもストレートに突き刺さる大事な考え方である。
生徒はこれまでの時代とは違い、ただ従順に授業内容を暗記すれば良いという訳にはいかなくなった。「主体的・対話的で深い学び」の正義の元に、これまでには無かった(あるいは、そこまで重視されていなかった)あらゆる活動を強いられているのが現状である。
しかし、その一方で部活や宿題は据え置きである。こんな状況では、生徒の負担だけがどんどん増加してゆく一方であり、頑張る生徒ほど真っ先に潰れていく。この辺りは教師と同じである。近年学校がブラックと言われるゆえんはこんな所にもあるだろう。
教師のブラック残業?「定額働かせ放題」を強いる給特法とは?!
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やはり、「足したらその分何かを減らす」の感覚は大切で、上に立つ者はそのバランスを見極めながら下につく者をコントロールしてあげなければならない。
「体にいいから」とか、「食べなければいけないから」という理由だけで、何でもかんでも口に詰め込まれたら、逆に体を壊しかねない。適量を、適時に摂取してこそ、最大限の効果を発揮できるというものだ。
企業でも、学校でも。上司でも、教師でも。基本的な考え方は変わらない。
適切な量を、適切なタイミングで与えてあげる。そんな考え方で仕事を割り振っていかなければならないのだと思う。