ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

「記述力」の育成の難しさ

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なんだかんだで一週間継続しての更新を達成していました。

何事も続けることって大事だなぁと実感。

 

 

とは言うものの、よく考えるとまだ国語教師っぽいこと何も書いていないことに今更ながら気づく。

と、いうわけで、申し訳程度にそれっぽいことを書いてみようと思います。

 

 

「書く」ことの難しさ

 

現在、進学コース3年生の国公立大学2次試験対策や推薦入試の小論文添削に追われる日々を送っています。

(毎年思うのだけれども、「小論文」=「とりあえず国語教員に任せとけ」っていう認識は、いかがなものなのだろう。確かに文章の読み書きという点では国語科の守備範囲なのだろうけれども、小論文に必要な要素ってそれだけではないと思うんですよね。)

 

とまぁ、そんなこんなで毎年感じるのは、長文記述問題は付け焼刃では到底通用しない、ということ。

生徒たちの答案を見てみると、ただ単に字数を埋めるために文中のそれっぽいフレーズを継ぎはぎしているものが非常に多いのです。うーん、そういうことじゃないんだけどなぁ。

その辺りは授業で結構話をしてきたはずなのですが、なかなか身についていない現状に、毎年愕然とします。(もちろん、自分の指導力の無さに)

 

記述力の向上のためには、何はともあれとにかく書き続けることが大切。

にもかかわらず、大半の生徒は、なかなか記述にチャレンジしようとしないというのが頭の痛いところです。「模範解答待ち」の、受け身な姿勢の生徒のなんとまぁ多いこと。「模範解答を写すだけの勉強」にあまり意味がないことは何度も伝えているのだけれども、中学校で「優秀」の判を押された生徒ほど、その悪癖が抜けきれないでいる傾向が高いように感じます。

 

いや、これは教師の側にも責任はある。長期休みの課題作文にせよ、ポートフォリオ等での自己反省文にせよ、「それを書く意味も、書き方も良く分からぬまま、強制的に書かされる苦痛」を与えている現状では、それは書く気も起こらないというものです。

授業において、まずは「書く」ことの意義や楽しさをしっかりと伝えた上で、なるべく多くの書く機会を準備してあげたいところです。……口で言うほど簡単なことではないのですが。

 

「どのように書くのか」の指導の大切さ

 

……なんだけれども、どうも生徒たちの話を聞いていると、彼らはTwitterやらLINEのタイムラインなんかは精力的に書いているっぽいんだよなぁ。

SNSが生活の一部として溶け込んでいる状況を鑑みるに、現代の高校生は「他者に向けて書く」という機会や必然性は確保されているわけであり、それなりの経験は積んでいるはずなのだ。

それを踏まえると、やはり大事なのは「どう書くのか」という意識の有無ということになるのでしょうか。やはり国語教師の責任は大きい。

 

それにしても、生徒たちがSNS上でどんな文章を書いているのか非常に気になるところ。

読み手との齟齬を生じない程度に他者意識を働かせているのだろうか。勝手気ままに、その場の感情を吐き出すだけの自己満足な内容になっていないだろうか……。

 

うーん、片っ端から添削してやりたい(笑)