何のために問うのか
教師をしていると、「なんでそんなこと言うんですか?」とか、「なんでこんな簡単なこともできないんだ?」とかいう発言をでよく耳にする。前者は説教をされている生徒の反論として、後者は説教中の教師の非難の言葉として、一種の常套句になっている感がある。
ただ、いつも思うのだけれども、これらの問を感情的に発する人があまりにも多い気がするのだ。
こうした人々からは、「問題解決に向けて、より正確な情報を獲得しよう」とする建設的な思想を見て取ることはほとんどできない。大抵は質問の皮を被った単なる我の押し通しであることが多い。
問うことは、問われること
「何故」の答えを他者に丸投げするのではなく、自分自身の問題として答えを探ろうとする姿勢はとても大切だ。
「なんでそんなこと言うんですか?」は「何故自分は怒られているのか」に、「なんでこんな簡単なこともできないんだ?」は「自分の教え方のどこが悪かったのか」へと、変換して考えるわけである。こんな思考ができれば、感情に任せた不毛な水掛け論に発展する可能性も低下するはずだ。
そうした自問の余地が残っているにもかかわらず、その説明を他者に委ねた時点で、一種の思考停止に陥っていると言えるだろう。
(勿論、全てにおいてその限りでは決してなく、単純に相手の事情に則した回答を欲するケースも結構あったりするわけだけれども)
誰かに何かを聞く必要に迫られる状況は、裏を返せば自分自身に何か不足する要素があることの証左でもある。であればこそ、それを自認した上で、あらゆる問題点やその改善点を洗い出す契機とすることが大切だろう。そうしたトレーニングを重ねなければ、すぐに誰かに頼る癖がついてしまい、自分の頭で考える力を獲得する機会を喪失してしまいかねない。
質問する力はとてつもなく大事だけれども、だからといって何でもかんでも「とりあえず誰かに質問しとけ」の精神で乗り越えようとする他力本願さを助長するのは、教育の目的から言っても望むところではないはずだ。
自分の頭で考えることの大切さ
現在読み進めている『Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』。
Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ
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この本では、まさにそうした「なぜ学ぶのか」「どのように学ぶのか」ということに関して、プロセスやメソッドを自分自身でしっかりと認識しながら学ぶことの重要性が解かれている。「ただ何となく、分かったような気になって」行う勉強には深い学びなど起こりえない、というわけである。
大抵の場合、高校生は「なぜ学ぶのか」や「どのように学ぶのか」が自分の中にはっきりと定まっておらず、ただ流されるがままに日々の勉強をしていることが多い。
ただ、これとてやはり誰かから与えられた「出来合いの答え」に飛びつくのではなく、もっと深いところまで自省しながら、最も自分に合ったやり方を見つけていくべきなのだ。自分の適正をいちばんよく知り得るのは、他ならぬ自分自身なのだから。
もちろん、そうは言うものの高校生にその完璧さを求めるのは間違っているわけで、それを補うため、背中を押してやるために我々教師が存在するわけだ。
となれば、我々とて、「これまでそうだったから」「自分がそうだったから」と言ったような根拠に乏しい上辺だけをなぞるようなありきたりな答えで誤魔化すことはできない。
先達の知恵を借り、同僚の意見を求めながらも、最終的にはそれらに盲目的に依存するのではなく、自分の頭で考えたベストな方策を駆使できるよう、精進していかねばならない。