ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

「担任の先生」が変わる、ということ

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4月に向け、学校内では慌ただしく新年度準備が進んでいます。

 

一方で生徒達は春休みを謳歌中。

夏休みや冬休みに比べると、宿題の量も少ないわけで、きっと思う存分羽を伸ばしていることでしょう。

 

 

生徒達の関心事

 

そんな中、生徒達の関心が高いのは「クラス替え」と「担任配置」でしょう。どちらも、これからの1年間(状況によっては2年以上)の学校生活を左右する大きな決定事項なわけで、下手をすると人によってはその善し悪しだけで不登校になってしまったりするくらい重大なことなのです。

自分が身を置く環境ってのはかなり大事。

 

私が学生の時も、毎年の担任配置発表はかなりのビッグイベントだったのを覚えています。

 

特に思い出深いのは高校生の頃。2年時の担任が、それはもう滅茶苦茶厳しい先生で、体罰厳禁のこのご時世にもかかわらずゴリゴリの体罰を仕掛けてくるという、「なるべくなら関わりたくない教師ナンバーワン」でした。立場が下である私たち生徒にできることは、陰でその先生に「ゴブリン」というあだ名を付けることくらい。(今にして思えば完全なる悪口。良い子のみんなは、人の見た目をからかうようなあだ名を付けてはいけません。) 

なもんだから、3年生の始業式では、組分け帽を被ったハリーポッターのように「ゴブリンは嫌だゴブリンは嫌だゴブリンは嫌だ……」と天にも祈る気持ちでいた訳ですが、アナウンスされた名前は無情にも「ゴブリーン!」だったわけで、その時の私の落胆ぶりと言ったらそれはもう凄まじいものがありました。

私の母校は、進学校にありがちな「クラス替えは2年進級時のみ」という制度でした。つまりは、2年から3年への進級では高確率で担任も持ち上がるのが慣例だったわけで、この結果はある程度は予想できていたわけです。しかし、それでもなお「もしかしたら……」が脳裏をよぎり、最後の最後までハラハラドキドキしたわけであり、つまりはそれが新年度の醍醐味とも言えるわけです。

 

 

教師だって色々考える

 

そんな感じで、生徒にとってはかなりのドキドキ(あるいは、ワクワク)なのでしょうが、教師だって担任人事については同じくらいドキドキします。どこに配置されるかで、これからの一年間のクラス運営の方針が決まってしまうわけですから、気にするなという方が無理なわけです。

学年・学科・在籍生徒……。あらゆる要素が複雑に絡み合って「クラス」は独自のカラーを醸し出します。もちろんそこには「担任」の要素も非常に大きな影響があるわけで、担任の持つ責任は重大です。受け持ちのクラスを白くするも、黒くするも、担任の腕一つであるといっても過言ではありません。

 

一応配属の希望は出すわけですが、それが全て叶うわけではありません。そんなわけで、我々教師もこの時期は、生徒と同じくらいか、それ以上にやきもきする日々が続きます。

 

 

 

「誰からも好かれる教師」という幻想

 

始業式における「担任発表」での生徒たちの悲喜交々。

歓声あり、悲鳴あり、どよめきあり……。生徒たちの反応は様々です。

立場上、「騒ぐな~」と注意はするけれど、正直仕方が無いよなぁとも思います。

教師にとっては、長い教員人生の経験によって最早ルーティーンのような感覚かもしれませんが、生徒にとってはかけがえのない青春時代を左右する大事な一年間です。誰が担任になるかはもの凄く重要なわけで、生徒たちは担任の教師を品定めしてくるわけです。

 

 

人間、関わりを持つ全ての人から好かれることはあり得ません。そんな人がいたら、逆に胡散臭さを感じてしまうくらいです。

そして、これは担任と生徒の関係でも一緒だと思うのです。クラスの生徒全員から好かれる担任というのは稀だと思います。40人前後の規模のクラスであれば、どんなに頑張っても担任のやり方に反感を買う生徒は出てきます。現実はドラマのように万事順調にはいきません。全てのクラスが金八先生のクラスのように円満に回れば、この世はもっと平和になっていることでしょう。

 

賛同者の影に批判する者有り(逆もまた然り)。これは人間関係の真理だと思います。

 

 

置かれた場所で全力で咲けばいい

 

しかし、だからと言って「来る者は拒まず去る者は追わず」の精神を貫くと、互いに心を通わせることのできる可能性は一切広がってゆきません。

「全員」は無理かもしれないけれども、「なるべく全員」が満足できるようなクラスの運営を追求し続けることは、教師である以上追い求めていくべき姿勢ではないかと思うのです。

 

「他人と過去は変えられない。変えることができるのは自分と未来だけ」という言葉がありますが、まさにその通り。「集まった生徒が悪い」「自分のカラーに合っていない」は単なる言い訳に過ぎません。そんな時は、自分が変わればいいだけのこと。どんなクラスにも対応できるだけの力を身につければ、それでいい。

別に美談でも何でもなく、単純にそれが「教師」という仕事に求められる責務ではないかと思います。

 

 

同じクラスになったのも何かの縁。我々は一年後に生徒たちが立派に成長し、充実した一年間を振り返ることができるよう、全力を尽くしていくだけです。

 

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい