早いもので三月ももう下旬に差し掛かろうとしている。毎度のことながらあっという間の一年だったように感じます。
修了式も間近に控え、担任は通知表と指導要録のコメントを書かなければなりません。
あまり声を大にしては言えないのですが、ぶっちゃけた話、これがなかなかに面倒臭い作業なわけです。生徒にしてみれば1人1枚のなんてことない資料なわけですが、クラス担任にしてみれば40人近くの人間の評価を書かなければならないわけで、これはなかなかな重労働たりうるわけです。
まとめて書こうとするから大変なわけであり、こまめに進めていればいいわけなのですが、どうしてもギリギリまで手を付けずにいてしまう。悪い癖ですね。いや、別に貯めているつもりは無いのだけれども、この時期は特になんだかんだと仕事が舞い込んでなかなか着手できずにいて、気づいたら例年のごとくギリギリになってしまっているというわけです。
物事は、言い方ひとつで白くも黒くもできる
このコメントは基本的にその生徒の良いところを書くのが一般的な傾向のようです(別に悪い部分を書いてもいいのだろうけれど、なにかそういう圧力めいたものをひしひしと感じます)。
私も教員生活において、生徒の良いところをたくさん書き続けてきました。
長所と短所は表裏一体とはよく言ったもので、どんな短所であっても、角度をちょっと変えて見てみれば、それは一瞬で長所になりうるわけです。
指導要録などの内部資料はそこまで注意を払う必要はないのですが、大学入試の出願に際して先方に送付する「調査書」や「推薦書」となると話が違ってきます。下手をすればこの書類の良し悪しで生徒の合否が決まってしまうこともあるわけで、担任としては非常に気を遣ってコメントを作成しなければならなくなるわけです。
進学コースの担任歴も長く、大学に提出する推薦書をかなりの枚数書いてきているということもあり、正直、私はどんな問題児であっても良く言ってあげられる自信がある。(それが果たしてよいことなのかどうかは、この際脇に置いておきましょう)
例えヤンキーマンガに出てくるような、どうしようもない極悪人だって(もちろん、そんな生徒を受け持ったことはないけれど)、書類上であれば完全無欠の優等生にすることだって可能なわけです。(だからと言って、事実無根にあることないこと書くような無責任なことはしませんよ。……念のため。)
一例を挙げるなら……
「落ち着きがない」は「活発である」。
「協調性がない」は「主体性がある」。
「内向的」は「自分と向き合う冷静さを備えている」。
「自己中心的」は「他の意見に左右されない強い正義感を備えている」。
「校則を守らず、勉強なんて一切しない」は「何物にも揺るがぬ確固たる信念を有し、それを貫き通すだけの芯の強さを備えている」。
「前代未聞の大問題児」は「既存の枠に収まらないスケールの大きさを髣髴とさせる」。
などなど、物は言いよう。なんでもござれなわけです。
そうした「負の要素」を「正の要素」に転換するテクニックを網羅した本が書店に並んでいる現状を見てみると、世の先生達はなかなかに苦労をしているらしいことが分かります。
新版 高等学校 改訂生徒指導要録・調査書・推薦書 記入法と文例集 (教育技術MOOK)
- 作者: 宮崎猛,小泉博明
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/02/20
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私はこの手の本をわざわざ手に取ろうとは思わないけれども、やはり需要はあるんでしょうね。みんな苦労しているんだなぁ。
さて、それでは今日はこの後自分のクラスの子たちのコメントを考える作業があるため、この辺りで切り上げることにします。