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私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

どんな学校を目指すべきか ――『変わる学校、変わらない学校』シリーズに学ぶ学校経営計画の立て方

【目次】

 

明日は学校改革プロジェクトの会議にて「学校経営計画」と「具現化目標」における問題点の洗い出しを行う、ということになっています。

 

これに関しては、妹尾昌俊氏の『変わる学校、変わらない学校』シリーズに大いなる示唆を受けたところなので、今一度その内容をおさらいをしておきたいと思います。

 

 

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

 
思いのない学校、思いだけの学校、思いを実現する学校―変わる学校、変わらない学校 実践編【I】

思いのない学校、思いだけの学校、思いを実現する学校―変わる学校、変わらない学校 実践編【I】

 
先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―変わる学校、変わらない学校 実践編【II】

先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―変わる学校、変わらない学校 実践編【II】

 

 

 

抽象度の高すぎる目標

 

教育現場においては、時に単なる理想や願望を並べ立てただけのような、そんな中身がスカスカの「教育目標」が散見されます。ICTの活用、アクティブラーニングの推奨、生徒の主体性の育成……などなど「とりあえずこんな言葉を使えばいいんでしょ?」的な、上辺を撫でただけの抽象的でフワフワした文言は数え上げればキリがありません。共通するのは、「で、結局その実現のためには具体的には何をするの?」がごっそりと抜け落ちている状態であるということ。お題目だけ見れば非常に立派な文言が並んでいるわけですが、結局のところそれが単なる机上の空論で終わってしまっている、というわけです。そして、そんな目標の下では職員の共通理解の下での横断的な指導など夢のまた夢というわけです。

 

妹尾氏はこれを「空疎な計画」として批判します。

「美辞麗句や専門用語、業界用語で飾り立てただけの煙に巻くような計画」である、と。

 

この指摘には思わずドキリとさせられました。勤務校でも正にこれに似た現象が起こっているわけですから。

 学校としては「教育目標」や「具現化目標」は示されているものの、どの部署を見たってその目標に向けて統一した動きを取っているようには到底思えないのです。

 

『思いの無い学校、思いだけの学校、思いを実現する学校』では、次のようなチェックポイントが示されているわけですが、何も本校に限らず、多くの学校がこうした項目に引っかかってしまうような目標の立て方をしているように感じてしまいます。

 

1、ありふれた文言

2、完璧を装う

3、空疎な常套句 

4、手段を忘れる 

5、顧客除外 

6、退屈の極み

 

 

なぜこうした問題が起こってしまうのか

 

 同書では続けて、なぜこうした問題を容易に克服できないのか、ということに焦点を当て、学校現場で起こりがちな問題点を洗い出していきます。

 

(ⅰ)優先度が高いものがもともと多いという問題

(ⅱ)意思決定に必要な情報が不足しているという問題

(ⅲ)優先順位を明確にすることによる副作用がある問題

(ⅳ)一つの方向性で固まってしまう教育は危険性をはらんでいるという問題

(ⅴ)これまでの経緯、伝統を重んじる組織風土

 

これまた現場に身を置けば思い当たる節の多くある、鋭い分析であると言えます。

 教育現場は非常に複雑な構造を有しています。管理職や役職を持った一部の教員以外は、年齢や勤務経験に関わらず、ほぼ横一線の扱いであり、これは一般企業の常識にしてみればありえないシステムであると言えます。

とりわけ、クラスはそれぞれの担任による独自の文化を持った王国となりやすく、まさしく教師の数だけ教育があると言っても過言ではない程に、各々の取り組みにはバラつきが見られます。

 

 近年は教員の多忙化が社会問題となるほどに、教員に課せられる業務は多岐に渡ります。それだけの期待が学校にかけられているわけで、教員は「あれもこれも」と、実に多くの「すべきこと」に振り回されているのが現状です。そんな状況では、(ⅰ)の指摘にあるように、「何に重点を置くのか」が見えづらくなっているのは事実です。

 

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また、そんな複雑な迷宮と化した業務体系の中で、それぞれの教員が同時進行的に業務を進めているために、その全体像を正確に捉えることはもはや不可能であると言ってもよいでしょう。これが(ⅱ)の指摘に繋がるわけです。

また、ゴールを一つに定めきれないという業務の性質上、「正解」を一つに絞ってしまえば、そこには少なからず衝突と混乱が生じます(ⅲの指摘)。

また、何か一つの主義や思想を刷り込むような現状では、もはやそれは「洗脳」と同じことになってしまいます。「お国のために」という思想を教育で実現しようとした結果、惨劇を引き起こしてしまったという歴史を経てきた以上は、この二の舞となることは絶対に避けなければなりません(ⅳの指摘)。

 

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かと思えば、「前例賛美」にも近い、変化を嫌う勢力が根強く存在するのもまた厳然たる事実(ⅴの指摘)。

 

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こうしてみると、教育現場というものは、実に複雑で厄介な構造を持った世界であると言えるでしょう。こんな現状の中で改革を推し進めるのはなかなかに骨が折れます。

 

 

では、どうすればよいのか

 

具体的に勤務校でもできそうなところを探してみると、次のようなフレーズが印象に残るところです。

 

取り組みの重点化よりも、課題の重点化が先決

“思い”と“データ”の両方を大切に

到達目標の共有は、情報の共有と思いの共有から

学校全体と個人の間をつなぐ――校務分掌の活性化

 

やはり、前述したような構造的な問題を「学校」という現場が抱えている以上は、特効薬的な解決策は存在しないと考えてよいでしょう。

とにかく組織全体での共有を図るべく、何度も話し合いの場を設け、粘り強く互いの意見を摺り合わせていくしか方法は無いと思います。

現状をしっかりと分析することで見えてくるあらゆるデータを基に、客観的な事実を共有した上で、互いの教育観をぶつけ合って最適な落としどころを見つけていく。そんな気の遠くなるようなやりとりを乗り越えて初めて、「学校全体」としての「経営目標」も見えてくるのではないかと感じるところです。

 

そうした意味では、「学校改革プロジェクト」を立ち上げ、定期的な議論の場を設けるようになった勤務校の動きは歓迎すべきところです。

ただ、最終的にはこれを全体に広げ、全ての教職員が同じ認識を持てるような取り組みに広げていかなければあまり意味が無いよなぁと感じるのもまた事実。

 しかし、何度も言うようにその「共有の時間」さえ満足に取れないというジレンマ。その解消のためには、ICTの力も借りながら効率よく回していく他ありません。

 

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まだまだこれからが戦いです。

焦らずに、と言いたいところですが、新しい時代の到来はもう目前。時代の波に飲み込まれてしまないよう、なるべく早く新しい体制を整えていくべく、頑張っていかねばなりません。慌ただしい日々はしばらく続きそうです。