待望される「変革」、機は十分に熟している
現在、国を挙げて熱心に取り組まれている「働き方改革」。
教育の現場にもその流れは確実に来ています。長らく放置され続けていた教育の現場に、ようやくメスが入るわけです。どう変わっていくのか、非常に楽しみである一方で、果たしてうまくいくのだろうかという不安も残ります。
一口に「学校の働き方改革」と言っても、あらゆるアプローチによる改革の手法があるわけです。なるべく自校に適した手法を採ることができるよう、まずはその辺りを広く情報収集せねばなりません。
とりあえずここ最近で読んだ本はこの辺り。
先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―変わる学校、変わらない学校 実践編【II】
- 作者: 妹尾昌俊
- 出版社/メーカー: 学事出版
- 発売日: 2018/08/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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また、この春は続々と新刊の予定が組まれており、非常に楽しみなところです。
シンプルな方法で学校は変わる 自分たちに合ったやり方を見つけて学校に変化を起こそう
- 作者: 吉田新一郎,岩瀬直樹
- 出版社/メーカー: みくに出版
- 発売日: 2019/03/15
- メディア: 単行本
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「啐啄(そったく)同時」という概念
「学校の働き方改革」に対して個人的に期待しているのは、なにはともあれまずは業務量を「個々人の能力」をベースとして均質化すること。そしてそれと同時進行で、各教員の能力伸長を図るべくスキルアップの機会を保障すること。この二点でしょうか。
業務の割り振りは我々のような平の教員にはどうしようもない領域なため、ここはしっかりと管理をしていただきたい。
一方で、ただ「できない」「したくない」とネガティブな声を上げるだけでなく、「できるようになろう」「やってみよう」と言えるだけの自信をつけるために、個々人が研鑽を積んでいくことも重要だと思うのです。
内と外、同時に改革を進めていくのが理想です。
仏教には「啐啄(そったく)同時」という概念が存在します。
「啐」は、「卵の内側から、雛鳥が殻を破ろうとする様子」、
「啄」は、「卵の外側から、親鳥が殻をつついて卵を割ろうとする様子」
をそれぞれ表しています。
転じて、導く者と導かれる者との相互作用が絶妙なタイミングで為されることの大切さを説いた言葉です。どちらかが先んじ過ぎても、適切な効果は得られないというわけです。
改革とて同じこと。内側が変わろうとする努力を行い、外側はそれを適切に手助けする。そうした上で、最大の相乗効果を得られるタイミングを逃すことなく改革を断行していくことが求められているはずです。
「手段」と「目的」を取り違えない
実は、本校にもそうした「働き方改革」についての動きは現れています。つい先日も、「週休完全二日制」の導入に関する意識調査が行われました。
(私立高校ということで、公立高校が土曜日を休みにし週休二日制に移行した時も、ずっと土曜登校を継続してきたという現状有り)
改革に向けて動いていることは非常にありがたいわけですが、その目的や合意形成に至るまでのプロセスに若干の違和感があったため、調査用紙の所感欄には次のように記載して提出したところでした。折角なので、転載しておきます。
(転載すべきかどうか一瞬悩みましたが、書いたのは他ならぬ私自身なわけだし、学校を特定できないように加工すれば問題無いと判断しました。(ということで、一部改変・中略箇所有り))
忌憚なき意見を自由に述べることのできる貴重な機会をいただきましたので、現場で働く一教員としての率直な思いを述べさせていただきます。
(中略)
現場の一員として危惧するのは、この「週休二日制」が、「休める人(休みたい人)だけが休み、休めない人(多くの業務を抱える人)は結局休日出勤しなければならなくなる」という「現在負担を強いられている教員に更なる負担を強いる」ような本末転倒な事態を招くのではないかということです。
先日より退勤時間を〇〇時厳守とし、それ以降の残業が事前申告・許可制となりました。それ以降は、退勤確認簿上の残業時間は減っておりますが、その実は「目をつけられたくないから家に仕事を持ち帰っている」だけであり、根本の部分では何も解決されておりません。むしろ、持ち帰れない仕事が存在するために、かえって仕事の効率は低下しているとさえいえます。定時に帰っていく同僚達を尻目に、遅くまで学校に残っている職員に共通するのは、好きで残っているわけではなく、「残らなければ仕事が終わらないからやむなく残っている」ということです。誰だって早く帰れるのであればそれに越したことはありません。単純に「帰れ・休め」と言われても「帰りたくとも帰れない・休みたくとも休めない」というのが実情です。
勤務時間という有限の器に対し、それを上回る業務を割り当てられた人間にしてみれば、業務内容の改善をなおざりにされたまま、「原則〇〇時以降の残業禁止・週休二日制」という名のもとで、器の方だけを一方的に小さくされることはかえって負担が増すだけになってしまいます。「週休二日制」はあくまでも「働き方改革」の“一手段”であって、そこが目的になるべきではないと考えます。単に土日を休みにするだけでは抜本的な解決にはなりえないのではないでしょうか?
(中略)
どうか、「週休二日制を導入した時に、あなたは休めますか?」という問いに全ての人間がイエスでもって返答できるだけの制度や環境、業務の割り振り方を整えていただくことを優先していただければと切に願うところです。以上、「働き方改革」ということに関して、思うところを好き勝手に述べさせていただきました。正直、思いの丈はこの紙面では語り尽くせませんが、本質的であると感じた問題点を挙げたところです。失礼な物言いも多々あることを自認した上で、それでも現場にはこうした声もあるのだということを知っていただきたく、あえて名を伏せることなく訴える次第です。
世に跋扈する様々な「改革」。
「目的と手段とを取り違えているのでは?」と感じられるものも、正直無いわけではありません。
一言断っておきたいのは、私は決して「体制叩き」をしたいわけではない、ということ。どんな組織にも共通して言えることでしょうが、ただ単に上司の悪口を言ったところでは何も始まりません。むしろ溝を深くするだけで、逆効果であるとさえ言えます。
大事なのは、互いに歩み寄るということだと思うのです。
まさに「啐啄同時」。力を合わせるべきタイミングを逃すことの無いよう、上も下も「他人に任せきりになる」ような、そんな改革にならないようにしたいところですよね。
人事を尽くして人事を待つ
さて、ぼちぼち発表されるであろう新年度の人事配置。
一体どうなることやら、非常に見物です。
今の自分にできることは、どんな人事配置であってもそこで全力を尽くせるよう、知識と力を蓄えておくことだけです。さて、 頑張るか。