ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

どんな生徒も、卒業したらあとはただの友達

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私立の高校に勤めていて嬉しいことはと言えば、なにより転勤が無いことでしょう。

新しい人間関係を構築することに普通の人以上にエネルギーを消費してしまう私としては、非常に喜ばしい環境です。

 

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そして転勤が無いということは、卒業生がいつやってきても当時の先生が残っているということでもあります。(退職していない限りは)

そんな事情もあるからなのか、大学の長期休みの時期になると、結構卒業生が学校に遊びに来てくれます。

 

最近は卒業を間近に控えた大学四年生がよく遊びに来ます。聞けば就職も決まり、卒論も無事提出できたとのこと。後は卒業を残すだけの自由な身。羨ましい限りです。

 

この代は、初めて三年間持ち上がりで担任をした子たちなので、思い入れもひとしおです。卒業式の時にボロクソ泣いたのを今でも覚えています。

 

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ありがたいことに、卒業後も関係は途切れずに、同窓会などにも呼んでもらっています。純粋に「教師をしていてよかった」と思える瞬間。これだから教員はやめられない。

 

そんな彼らに、卒業式の時に告げたのは、「今日から皆さんとは教師と生徒の関係ではなくなります、これからは一人の友として、対等な立場で語り合いましょう」ということでした。

 

 

教師は「楽しい思い出」だけを作るために存在するのではない

 

自分で言うのも何ですが、私は結構ネチネチと理屈っぽく指導する方です。

時には「この指導も君達の未来の為だ」などと恩着せがましく、細かいところまでしつこく指導をします。きっと生徒たちは煙たがっていることでしょう。

これは勿論、私の性格による部分も大きい。しかし、それ以外にも、私の一つの信念がそうさせている部分が大きいように思います。

 

高校を卒業すると、彼らに「大人の立場」から純粋な善意による「教育」を施してくれる人はいなくなります。高校を出れば、もう世間では立派な「大人」の扱いです。大学は教育機関ではありませんし、アルバイトや就職先での上司は、あくまでもビジネスライクな関係なわけですから、そこで行われるのは「教育」ではなく、対等な立場における「指導」なわけです。上司は自分の所属する企業(あるいは上司自身)に益となることを目的として部下に接します。社会ではそれが当然でしょう。

 

それを考えると、彼らが社会に飛び立ってゆく前に、損得を抜きにした「教育」をしてやれる最後の大人が私たち高校教師だと思うのです。であれば、彼らがこの教室を出ていった後に、「自分自身の力で判断し、困難を乗り越えられる」ような人間に成長させておくのが教師の使命と言えるでしょう。生徒をベルトコンベアに乗せてとりあえず卒業までもっていけばそれでおしまい、あとのことは知ったこっちゃない、などという無責任な考え方は到底理解ができません。

 

生徒たちには、これからの困難を一人で戦い抜くことができるだけの武器をなるべくたくさん授けてあげたい。(もちろん、「他者への頼り方」というのも立派な武器。一人でできなければみんなで協力すればいい。)

「彼らとどれだけの思い出を残せたのか」ということはもちろん大事なことなのでしょうが、それだけでは学校で教育をする意味はありません。そうではなく「彼らに何を残してあげられたのか」ということで三年を振り返りたい。常にそう思いながら高校生たちと向き合っています。

「そんな考え方は単なる教師の傲慢だ」という考えもあるかもしれません。でも、教育ってそもそもそういうものなのではないかと思うのです。

 

 

卒業してしまえば、あとはただの「友人」

 

一方で、一旦高校を卒業させてしまうと、あとはもう適当です。(こう言うと、やや語弊があるな……)

だらしのない生活をしていようが、大学をサボって留年しようが、それに対してなんやかんやと口やかましく言うことはありません。たとえ、高校在学中に「社会に出た時にはせめてこれだけはできるようになっておけよ」と口を酸っぱくしてネチネチと教え込んだことでさえも、できていなくたって何とも思いません。

不必要だと考えたのはその人の立派な判断です、それを尊重する以外に選択肢はないでしょう。

 

現在彼らが歩んでいるのは、他ならぬ彼ら自身の人生なのですから、そこにはもう「教師」として介入する余地は無いわけです。大人になってからもいつまでも教師面してああだこうだと口を出すようなことがあれば、それこそ正に傲慢でしょう。

高校の三年間で渡すものは全て渡し、伝えることは全て伝えたわけです。あとは各自のお好きにどうぞ、というスタンス。免許皆伝とはこのことでしょう。

 

 

有朋自遠方来、不亦楽乎

 

この漢文は論語の有名な一節。大まかな意味としては、「友が遠方より訪ねてきてくれる、なんと喜ばしいことではないか」といったところでしょうか。

どんなに忙しくとも、卒業生がやってきてくれるのはとても嬉しいものです。思わず疲れも吹き飛んでしまいます。

 

高校を卒業し、立派に成長を遂げている「友人」たち。先行きの見えにくい大変な世の中ですが、明るい未来を作っていくために一緒に頑張っていきましょう。