水曜深夜のネコまつり。
ふぅ、猫成分チャージ完了。
この気持ちの良いくらいの無防備さよ。なんと心癒されることか。
決して人間になびかない、そんなツンツンした感じも魅力的だけど、こんな感じでデレデレのそなたもまた愛おしい。
きっと紛争地域にネコを1000匹ほど投入すれば、みんな争いどころでは無くなると思う。NO MORE WAR , MORE CAT。ネコは世界を救う。
「かわいそう」を決めるのは誰だ
さて、猫を飼うとなると、「室内飼い」をするか「放し飼い」をするか、という選択が出てきます。
私が住んでいるような田舎ならば外に放し飼いでも構わないのでしょうが、都市部ではそうもいかないのでしょう。必然、室内飼いになる訳です。
そして、室内飼いということに関してよく耳にするのは、「狭い家の中に閉じ込めてかわいそう」という批判。曰く、「本来はあちこち自由に移動できるのだから、こんなところに閉じ込めてストレスを与えるような飼い方をしてはいけない」とのこと。
これは、「人間」という自分の立ち位置からしかネコのことを見ていない状態。
生まれた時から室内で飼われる猫にとっては、その家の中が世界の全てなのであって、自分のことを「不便だ」「かわいそう」などとは考えていないはずです。
「かわいそう」はあくまでも人間を中心とした主観的な捉え方なわけです。
極端な例でいえば、「金魚鉢の中の金魚」。これはどうでしょう?
人間の基準で考えれば、これほどまでに狭い囲いの中に閉じ込められている金魚がとんでもなくかわいそうに思えるでしょうが、当の本人(本魚?)はそこまでの苦痛は感じていないはずです。
私たち人間だって、自分の生まれ育った地域から一切外に出ない人も珍しくありません。大半の日本人は、狭い島国でぎゅうぎゅう詰めになって生活していますが、その状況を悲観する人間はそう多くありません。
もしかしたら、宇宙人は我々を観察して、「地球などというちっぽけな惑星から出てこれない哀れな種族だ、ふぉふぉふぉふぉ……」、などといった勝手な考えを持っているのかもしれません。
価値観にとらわれない柔軟さを
あらゆる物事の捉え方は、絶対的なことの方が珍しいわけです。必ずしも一つの見解で決着がつくわけではありません。物事をどういう立場、どういう角度で眺めるかによって、答えは幾通りにも存在します。
今後より一層の多様化が進んでいくであろう現代社会。そんな時代を生き抜くために大事なのは、必要に応じて自分の主観的な考え方を相対化しながら、客観的に観察・思考することのできる能力でしょう。
「自分の若いころは……」とか、「こんなことは言うまでもなく常識だ」とか、そんなことを言っているようでは自分自身の価値観に囚われたままです。時代は時々刻々と変化するわけであり、我々自身もそれに合わせて柔軟に変わっていく必要があるわけです。
視点を自由に移動させ、柔軟な発想へと繋げる能力。これは国語の授業よって特に鍛えてあげなければならない力です。いつの時代もそうなのでしょうが、子どもたちは自分の世界からしか物事を観ていないように感じられる時が結構あります。事実と考えを峻別したり、複数の異なる意見を擦り合わせて考えてみたり……、国語の授業では、そんなトレーニングをしていかなければなりません。
そのためにもまずは我々自身が広く、柔軟な視野でもって世界を観察できるよう、鍛えていかねばならないのでしょう。
そうした点で行くと、現在読み進めている『なにものにもこだわらない』(森博嗣)は、「客観の目」を養う上で結構参考になります。
【目次】
第1章 「拘り」は悪い意味だった。
第2章 「拘る」のは感情であり、理性ではない。
第3章 「拘らない」なら、その場で考えるしかない。
第4章 生きるとは、生に拘っている状態のことだ。
第5章 新しい思いつきにブレーキをかけない。
第6章 自由を維持するためにはエネルギィが必要だ。
第7章 死ぬとは、死に拘るのをやめることだ。
第8章 拘らなければ、他者を許容することができる。
第9章 優しさとは、拘らないことである。
第10章 拘らなければ、臨機応変になる。
なぜ人間は「こだわり」を持ってしまうのか、というところから始まり、こだわりを持つことのデメリットや、どうすればこだわらずに、客観的に物事を見ることができるのか。といった内容が論理的にまとめられています。比較的やさしめの文章なので、結構すらすらと読むことができます。
こうしてみてみると、私たちは意外と主観に基づいて感情的に行動していることに気づきます。学校現場などは特に、閉鎖的な環境であることや、「教師と生徒」という分かりやすい権力構造が存在することなどが原因で、どうしても客観的に物事を見ることができなくなっている場面が多いように思います。生徒にとっては理不尽に感じてしまうことでしょう。
自分の持つ「正義」にこだわりすぎて、本質を見失わないよう、精進していかなければなりません。