ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

「変わる」とはどういうことか

二日目の更新だ。できるだけ毎日更新していきたいところです。

 

当然のことながら、まだまだはてなブログの仕様がよくわからない。どんな機能があり、どこまで自由にいじくれるのか。

早くレイアウトを凝ったものにしてみたり、リンクを張ってみたり、あれこれとカスタマイズして、自分流に変えていきたいなぁ。

 

 

さて、今日は「変わる」ということについて少々思うところを述べたいと思います。

 

 

 

なぜ人は「変化」を嫌うのか

 一般に、若い人ほど変化することに抵抗がなく、年齢を重ねた人ほど変化を苦手とする、という傾向が観察されます。もちろん、例外もありますが。

 

 そもそも、人間は何か一つのことに洗練してくると、そのやり方を容易に変えることができなくなってしまいます。

これは最適化・効率化の一種であり、時々刻々と変化する世界で生き延びていくために必要とされる、人間の持つ英知の一つと言えるでしょう。人間はこれまで積み上げてきたもの、自分の中に染みついてしまったものはそんなに容易に変えることはできないようになっています。

そして、そこには長年の経験知(経験値)に裏打ちされた、普遍的・核心的なエッセンスが確実に含有されているはずなのです。

 

容易に変わることのできる人間は、往々にしてそのことを見落としがちです。全てを刷新してしまうことで、これまでに積み上げてきたものを何もかも削ぎ落としてしまう。

一方で、なかなか変わることのできない人も、ともすれば自分の正当性に固執しがちです。

 

教育界は「変化」だけすればそれでよい?

今、教育界は変革の時を迎えています。

現在進学コース1年生の担任をしている身としてまず真っ先にトピックとして挙がるのは「センター試験の廃止および、共通テストの導入」でしょうか。これは二年後の今頃は荒れますよね、確実に。もう本当に勘弁してくださいよって感じですが、逃げるわけにもいきませんね。戦わなきゃ、現実と。

 

もちろん、大学入試以外にも大きな変化は待ち受けています。

学習指導要領の大幅な改定だとか、私たちを取り巻く社会構造の大きな転換に伴う、「社会で求められる力」の変容だとか、ともかく私たちは従来の教育の在り方から大きな変更を余儀なくされる転換点に直面していると言えます。

 

そうした状況が「教育は変わらねばならない」という教育革新派の主張に正当性を与えているわけであり、個人的にはそうした風潮は大歓迎なわけですが、一方で「正義は我にあり」とばかりに改革ばかりを推し進める風潮にも疑問を感じざるを得なかったりします。

 

そもそも、教育界には一種の金科玉条として、「不易」と「流行」の概念があります。

時代とともに変わりゆくもの=「流行」がある一方で、いかなる時代にも不変のもの=「不易」がある、という考え方です。

 

確かに、現在社会は大きな変革を迎えています。国際化・情報化を筆頭に、これまでに無かった社会情勢は、否が応にも「教育によってそれらの社会変化および、それによって生じる種々の社会問題に対応できる人材を育成すべし」という世論を生み出します。

 

これがまさに「流行」の部分であり、これに基づいて考えるならば、我々は従来の教育の在り方を大きく見直さねばならぬ局面を迎えているというわけです。

 

 しかし、そんな中、これまで築き上げられてきた「不易」の部分がないがしろにされてはいけない。そうも感じるのです。

 

でも、変わるしかない、今はそんな局面 

毎年感じますが、新入生は大抵、「自分が受験という難関を突破したのだ」という自信から、「こうすればよい」という自分なりの方式を内に備え、それに固執しがちです。

成功に裏打ちされて自信は育まれるわけですから、これはある意味当然のこととも言えるでしょう。

ただし、残念なことに、高校という新しいステージではではそれが通用しない、ということが往々にして起こりうるのです。

 

これとてやはり同じこと、大事なのは、いかにしてそのような合理化に至ったのか。どのような知見がそこに含有されているのか。それを明らかにした上で、そんな貴重なリソースを失うことなく現実に即応して柔軟に変わっていくこと。これに尽きるでしょう。

それが、「不易」を捉えたうえでの「流行」への転換に繋がるはずです。

 

変わることには、これまで築き上げてきた安全地帯から離れて未知の世界へ踏み出す勇気と、大きなエネルギーが必要です。

だからこそ、みんなで一緒に変わっていく必要があります。

そのためには絶対に対話が必要で、時にはケンカだってしながら、でも最終的には同じ方向へ進んでいく。そんな環境ができれば、きっとものすごいパワーが発揮されるはずなのです。

 

互いにいがみ合うような改革には何のカタルシスも感じません。どうせ変わるなら、みんなが納得したうえで、力を結集した改革でありたい。

今は、そう願うばかりです。

 

とかなんとか言いながら……

いやいや、長いなこの文章。どうも職業柄あれもこれもとつい欲張って書いてしまう癖がついてしまったようだ。

これも変えていかなければならないなぁ……。精進します。