この週末でようやく読み進めることができた一冊。
Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ
- 作者: アーリック・ボーザー,月谷真紀
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2018/07/19
- メディア: 単行本
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教え方を知る前に、学び方を知らねばならない
教育実習生が頑張っているのを間近で見るということもあり、毎年この時期になると自分が駆け出しの教員だった頃を思い出します。
出自が教育学部ではないということもあり、当時頼れたのは「良い授業=膨大な知識を無理やり詰め込むような授業」といった価値観が大きく幅を利かせていた時代に受けた、母校での授業の記憶でした。つまりは、「いかに多くの事項を丸暗記できるか」というモノサシしかなかったわけです。
そんなこんなで、恥ずかしながら最近になるまでは「どのように学ぶのか」といったようなことを深く考えることも無かったというのが正直なところです。
テストで好成績を上げるといえば、教科書に載っている事実の詳細を勉強し、年号を記憶し、等式を暗記することだった。
この学習観がいまだに大半の学校、大学、研修プログラムで実践されている。
まさに、この本の冒頭にて指摘されているこうした学習観に支配されていたのが数年前までの私でした。そのことを思い出しながら、忸怩たる思いでこの本を読み進めていくことに。
この本では、次のような学習観に基づき、学習におけるプロセスを六つの段階で示しています。
学習とはつまり理解のプロセス、メソッド、体系なのである。学習とは一つのことへの集中と計画性と内省をともなう活動であり、学習の方法がわかれば習得の度合いと効果は大きく上がる。
私自身を含め、「経験則のみを頼りに、古い価値観に縛られた学習観」からアップデートされていない人にとっては、「効果的な学び」を知るためのよい道標になってくれます。
「その場しのぎ」にならないような体系的なアプローチを
これはスポーツの世界でも言えることですが、人間は感覚的にあらゆることが“できてしまう”がゆえに、そこにもっと効率的な道筋があるのかもしれないと考えることを忘れてしまいがちです。であるからこそ、いまだ「気合と根性」があらゆる場面で横行しているわけで、そこはまさに多くの無駄と、それ以上の発展を望めない停滞によって構成された袋小路のようなものです。
本書では、学びの深化について以下の六つのステップに分類することで、そうした時代錯誤から脱すべく、効果的な学習の在り方について示します。
価値を見いだす:学びたいと思わなければ学ぶことはできない。専門知識を習得するには、そのスキルや知識に価値があるとみなさなければならない。さらに、意味づけを行わなければならない。学習とはすなわち対象の意味を知ることである。
目標を設定する:知識を習得する初期の段階においては、集中が重要だ。何を学びたいのかを厳密に見きわめて、目的と目標を設定しなければならない。
能力を伸ばす:練習にも、他人と差がつく力をつけられるようなものがある。学習のこの段階では、スキルを磨き、パフォーマンスを向上させることに特化した手段を講じる必要がある。
発展させる:この段階では、基本から踏み出して、知識を応用したい。スキルと知識に肉付けして、より意味のある形の理解を形成したい。
関係づける:すべてがどう噛み合うかがわかるフェーズである。私たちは結局、個別の事実や手順だけを知りたいのではなく、その事実や手順が他の事実や手順とどう関わり合うかを知りたいのだ。
再考する:学習には間違いや過信がつきものだから、自分の知識を見直し、自分の理解を振り返って、自分の学習したことから学ぶ必要がある。
そして裏を返せば、これらの指摘は全て、生徒に「学習」を促す存在である我々教師がいかにして授業を組み立てるべきか、ということについて考えていくべきステップであるとも考えられます。
指導要領も変わり、「 主体的・対話的で深い学び」をはじめとしたあらゆる授業改善が各現場で求められていることもあり、ありこちで従来の授業の在り方を変えようとする動きが出てきています。ただ、ただ言葉のイメージに引きずられるままに「とりあえず生徒同士で話し合わせる」「とりあえず学校外に送り出して活動をさせる」といったような、目的や効果を吟味しないまま「いきあたりばったり」に学びの方法を変えたところで、それでは到底「深い学び」には繋がりません。単なる「思い出づくり」に終わってしまっては元も子もありません。
そうした「何となくの悲劇」を招かないためにも、まずは理屈の部分からしっかりと自分たちの行う教育の目指すところやそこに到達するためのアプローチについて考えておくのは大切なことだと思うのです。
「学習者」を中心に据えた授業づくりを
上記のどのステップにも共通するのは、学習者がいかに自身の学び方について自覚ができ、そして、どれだけ明確な目的と見通しを持って取り組めるのか、ということでしょうか。
そんな「個」に主体を置くわけですから、当然個々人によって微妙にアプローチの仕方が異なってきます。人間は千差万別、それぞれに異なった背景や考え方を持っているわけで、そうした「個」に応じないことには効果的な学習などありえないわけです。
そんな当たり前なことを殊更に考えざるを得ないほどに、今の教育現場では「教授者主体」の教育活動がまかり通っていると感じてしまうのです。
どんな教室でも判を押したように同じ展開しかない、そんなAIのようなノルマ消化を目的としたような授業を何年も続けていたり、他のクラスと足並みを揃えることを出発点とした、アリバイ作りのような宿題を課していたり……。これでは単なる「教育ごっこ」に過ぎず、そこには学び手の学びが深まることなど夢のまた夢です。
目の前にいる生徒は、クラス替えを行うまでもなく、授業をするたびに変化していき、一瞬たりとも一定ではありえません。これはまさに生きている集団であり、教える側はその変化に柔軟に対応していかなければ、学習効果を上げることなどできやしないはずなのです。
応用に繋げるための「型」を押さえる一冊
そうした個に応じた適切な学習を促すためにも、教える側が確かな意図に基づいた「学習の場」を設定してあげなければならないわけですが、この本はそうした学びのステップを体系的に理解するうえでは非常に有用であると感じました。
マインドセットやシステム思考といった、近年話題になっているメソッドも多く盛り込まれており、あらゆる角度から「学習」の在り方について考えていく材料を手に入れることのできる、そんな学びのガイドブック的な側面もある一冊。
授業づくりに迷った時にパラパラと眺め直してみることで、授業内容を見つめ直すヒントを得られそうです。