ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

解決法がたった一つしかない問題など存在しない

最近色々な現場を見て思うのは、問題が発生した際の対処法として「原因そのものの排除」という、やや暴力的な解決法が横行しているのでは? ということである。

 

「この遊具は危険だから撤去しましょう」とか、「これは勉強の妨げになるから取り上げましょう」とか、「この人はこの仕事に向いてないから外しましょう」とか、そんな感じである。

これは短期的な目で見ればリスクを回避できているようだけれども、長期的に考えると果たしてこれでいいのかと疑問に感じる部分も、正直な話無いわけではない。

 

 

「ネガティブな解決法」と「ポジティブな解決法」

 

どんな問題であっても、最低限「ネガティブな解決法」と「ポジティブな解決法」という二つの方策が確実に存在しているはずだ。

先ほど例示した「元凶の排除」は「ネガティブな解決法」である。これは、問題の即時解決を可能にする一方で、不安要素の排除に焦るあまり、結果としてその場しのぎの対処に陥ることが多いように思う。この手の解決策は根本からの解決にはなり得ず、大抵の場合は同様の問題が再発するものだ。つまり、臭いものに蓋をしているだけ、というパターンが多く、これは友人が来る直前に、慌てて部屋の中の物を押し入れに押し込んでいるようなものである。

単に問題を目の届かないところに遠ざけただけであり、肝心な根っこの部分での解決には至っていないのだが、当の本人は問題を解決した気になってしまう。ここに、この解決法の抱える危うさがうかがえる。

 

 

一方で、「ポジティブな解決法」というものもある。

これは「『不安要素』を『不安』ではなくする」という考えのもとに、問題の根本からの改善を目的として行われるものだ。

 

例えば、手の付けられない暴れん坊の生徒のためにボクシング部を立ち上げたら、めきめきと才能が発揮されて卒業する頃にはすっかり人格的にも立派な青年に成長を遂げた、という逸話がまさにこの解決法の理念に近い。

コンビニでは立ち読み客を排除するどころかむしろ容認することで、常に複数の人間が店内にいる状況を作り出しており、結果としてそれが防犯対策になっている、というのも有名な話である。

考え方を少し変えれば、より良い解決策が見つかることも結構あるものだ。

 

 

「システム思考」の可能性

 

最近、とある知り合いのツテで「システム思考」という思考法に触れる機会があったが、まさにこの考え方が近いように思う。

 

「システム思考」とは、大まかに言うと、「あらゆる要因が相互に関連しあっている諸事象を俯瞰的に捉えた上で、問題を根本から解決するための的確なポイントを押さえながら対処法を探っていく考え方」のことである。

入門としては『なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?―小さな力で大きく動かす!システム思考の上手な使い方』(枝廣 淳子、 小田 理一郎)という本が分かりやすくておすすめ。(内容を考えれば若干タイトルで損をしているような気がする。とっつきやすくするために敢えて卑近なタイトルにしたと考えれば、これはこれでいいのかもしれないが)

 

なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?―小さな力で大きく動かす!システム思考の上手な使い方

なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?―小さな力で大きく動かす!システム思考の上手な使い方

 

 

【目次】

小さな力で大きく動かそう!
システム思考とは何か?―よいパターンを創り出す究極のツール
システム思考は難しくない!―世の中はシステムだらけです
「時系列変化パターングラフ」が望ましい変化を創り出す
最強ツール「ループ図」を使えば構造が見えてくる!
強力な助っ人「システム原型」で現実の構造を見破る
絶妙のツボ「レバレッジ・ポイント」を探せ!―小さな力で大きく変える
いざ、問題解決へ!―望ましい変化を創り出す
システム思考の効用と実践手法―こんな場面で役に立つ!
最強の組織をつくる!―変化の時代に必須のコンピテンシー
システム思考を使いこなすコツ―実践のための七ヶ条
システム思考をより深く知りたい人のために―システムの特徴

 

 

とある事象に対して、「それは単独の要因ではなく、複数の要因の相互作用によって引き起こされている」という前提のもとで、「どこに手を入れれば問題部分を解消することができるのか」を考えることで、解決を図ろうとするやり方である。

問題を単独の要因によるものと考えて、その要因の排除に乗り出すような乱暴な解決法に比べれば、遥かに理に適っているやり方であると言える。好循環を生み出すことによって長期的な安定が望める点でも、「システム思考」の優位性は高い。

 

マンガやゲームやスマホが生徒の学習を妨げているように観察される場合でも、「なぜそれらの要因が生徒の学習を妨げているのか」を突き詰めていけば、必ずしもそれらの要素を取り上げる必要は無いということに気付くことができ、異なるアプローチからの解決の手立てが見えてくるはずだ。

 目の前の結果だけを見て「使えない人間」認定をするよりも、「どうすればこの人が持ち味を生かせるようになるのか」を考えてシステムを組み直した方が、本人にとっても集団にとっても長い目で見れば必ずプラスになるはずである。

 

 

「問題だ」と決めつける狭い了見にこそ、「問題」が潜んでいる

 

「問題」は、それを好ましくないものだと思うから問題となるのであって、時として私たちはその固定観念に縛られがちである。少し目線を変えてみれば、そもそも「問題だ」と認識していた視点そのものに改善の余地があることが見えてくる、というのはよくあることだ。

 

教育の現場では、ともすれば「危険因子の排除」という過激な思想が現れることがままあるのだが、そうした考え方は非常に危険だと言わざるを得ない。そんな高圧的で短絡的なやり方は時代錯誤も甚だしい。

気に食わない状況があるのなら、それを好ましい状況へと作り変えていく力が学校現場には求められているはずだ。

ますます変化の激しくなってゆく教育現場の行く末を考えると、我々はもう少し柔軟な考え方を取り入れていかねばならない。