ここ数年「安眠」した記憶が無い。
そもそも「安眠」がどんな状態なのかをすっかり忘れてしまっている。人間は大人になるにつれ、「安眠」を忘れてしまう生き物なのだろうか。あの素晴らしき安眠をもう一度。
どうも、働き始めてからというものの、睡眠が疲労回復の手段に成り下がり、睡眠を楽しむという感覚がすっかり喪失されてしまったようだ。睡眠そのものを積極的に楽しむ精神的な余裕とでもいうのだろうか、なんかそういう人として大事な心をどこかに落としてしまった気がする。
させられる睡眠は真の睡眠に非ず。睡眠を完全に掌握した時に、真なる眠りが訪れ、汝を楽園へと誘うであろう。枕を制する者が、睡眠を制す。若人よ枕を抱け。
寝つきが悪い
「さぁ寝よう」と意気込んでお布団に潜り込むのだが、そこからが結構長い。
ついついスマホ見るからいけないのだろう。ブルーライトとかいう、なんかそんな感じの人体に良くないアレが私の脳を狂わせるのだ。
幼い子が電池が切れるように入眠する現象があるが、これは正に“電池切れ”(あるいは“充電切れ”)に近いメカニズムである。スマホの充電が1%から0%になるあの瞬間に似ている。全ての力を放出し、精根尽き果てた末に訪れるのが、からくり人形の糸が切れたように突然崩れ落ちるあの状態なのだ。恐るべきは、残り1%の状態でも全力で動き回ることができるあのバイタリティである。
大人はこうはいかない。充電がある程度まで減ってくると、無意識のうちに力をセーブし始め、残り20%くらいから体力温存モードに自動的に切り替わってしまう。中途半端に残った体力は安らかなる眠りへの導入を妨げる。「まだ何かできるはず」と考え、ついついwikipediaでネコの生態などを調べ始めてしまう。
「なんか寝れない」状態の裏にはこうした「本能による余計なおせっかい」があると私は睨んでいる。
寝相が悪い
大人になってからとにかく寝相が悪い。
一時期はうつ伏せにならないと眠れなかったし、ひどい時は立膝のようなポーズをしなければ何か落ち着かなかったし、最近では必ずバンザイのポーズで両手を挙げないと入眠できない。そして、こうした寝相の悪さは絶対に体の節々に多大なる負担を強いている。寝起きで体のあちこちがコチンコチンに凝り固まっているのだ。
こんなの傍から見たら確実に変な奴だ。なにゆえコイツは寝る前にヨガのポーズをとっているんだ、と勘違いされること請け合いである。しかも体はボロボロになる。いいことなんて一つもないのに、なぜか寝相を悪くしないと落ち着かない。
なぜか早起き
かといって、必ず朝の6時頃には一度目が覚めてしまう。もちろん、仕事が休みの日であっても、である。完全に体内時計が仕事モードで固定されている証拠だ。「寝坊して遅刻する夢」にうなれ、深夜三時ごろに目が覚めてしまうこともしばしばある。もはや末期である。
なんというか、正午まで寝る体力が無くなってしまったのだ。そんな遅くまで寝ていたらむしろダルい。いや、理屈としておかしいことを言っているのは分かる。だが、そうとしか言いようのない謎の体質変化が私に起こっている。
私はネコになりたい
彼らは“眠”のスペシャリストである。いつだって幸せそうにゴロゴロしている。
私も大学生ぐらいまではそうだったはずなのだ、こうなってしまったのも、全て仕事を始めてからである。
生まれ変わるならば絶対にネコになって、仕事などせずダラダラしていたい。