今日で二月もおしまい。明日はいよいよ卒業式です。
毎回思うけれども、本当にあっという間です。ついこの間入学してきたような気がするというのに、もう巣立って行ってしまうんですね。
私は担任ではありませんが、三年間授業を担当してきただけに感慨もひとしおです。よくぞここまで成長してくれた。
これから社会に向かい巣立っていく卒業生。
前途洋々、新天地において華やかな未来が待ち構えていることを願うばかりです。
見送る側の寂しさ
さて、卒業生が明るい未来に向かい学び舎から飛び立っていく姿を見ながら、いつも思うことがあります。
それは、「学校」に取り残される教員の寂しさ。生徒たちの成長をもっと傍で見ていたいのに、それができないもどかしさとでも言いましょうか。思い入れのある生徒たちを見送る時には、より一層その気持ちが強まります。子離れできない親の気持ちってこんな感じなんでしょうね。
特に、初めて三年間担任をしたクラスの卒業式では、とてつもない喪失感に襲われたのを、今でもはっきりと覚えています。
これからはこの子たちと一堂に会してワイワイすることはできないんだな、と考えると、涙が止まらなくなってしまいました。卒業式後の最後のホームルームでは、野々村竜太郎元議員の号泣会見ばりの男泣きっぷり。こんなに泣いたのは、成人してからは後にも先にもこの時だけだと思います。
終えてみて気付く、教師という仕事の魅力
現在、あらゆるところで教育界のブラックな現状が叫ばれています。
大学における教員養成課程の志願者の減少や、各自治体の教員採用試験の倍率の落ち込みに関する報道をよく目にするようになってきました。
確かに教員というのは大変な職業です。しかしその分、この卒業式というイベントでそうした辛さが報われた気持ちになるのもまた事実です。生徒の成長に携わりながら、自分自身も成長していけるところに教師の魅力があるように思います。
理屈ではうまく言い表せないのですが、そんな魅力があるからこそ、疲労困憊であっても力を振り絞れる。大変なことでもやってみようと思える。そんなものだと思います。
初めて卒業生を送り出した経験から、そのことを学びました。
思えば、あの時の男泣きが、私自身の「学生気分」からの卒業だったのでしょうか……。
今はただただ「おめでとう」
いや、今日は余計なことを言って水を差すことはすまい。(今更)
今日はただ、晴れの舞台を迎える卒業生へエールを送るだけです。
卒業生の諸君。本当におめでとう。