本日は大学教授をお招きしての出張講座。
大学選択などの話もしていただいたわけだけれども、生徒の反応は我々高校教師が話す時よりもずっと良かったりする。言っている内容は正直そんなに変わらないのだけれどもなぁ……。
やはり、「大学教授」という肩書は生徒にとって強く響くらしく、「教授がそう言うのなら、そうなのだろう」という説得力に直結するものであるらしい。
これは「卒業生講話」みたいなものにも共通する部分であるように思える。
現役大学生の語る言葉は、生徒にとっては我々高校教師が語る言葉よりも惹きつけるものがあるらしい。
これは別に高校生に限った話ではなく、人間誰しもが「何を語るのか」よりも「誰が語るのか」に重きを置きがちである。コンテンツの価値が、メディアによって左右されてしまう現象は何ら珍しいことではない。
それはそれで問題であり、なるべく余計な情報に左右ずに、常に本質を捉えるだけの力を備えて欲しいわけだけれども、ある意味これは仕方がない現象であるともいえる。
発想を逆転すれば、情報を伝えようとする側が「より刺さる」ようにメディアを厳選し、て代弁してもらうシステムを構築すれば、より効果的に相手に伝達することが可能だということでもある。
「伝達したい情報の内容」と「伝えたい相手の特性」を分析した上で、社会的地位や好感度・認知度などを考慮した人選を適切に行うことが必要になるわけで、これとて結構奥が深い。いつかは授業で扱ってみたいなぁ。