テストの採点をコツコツ進める中、大学入試「共通テスト」に関して不穏なニュースを発見し動揺を隠しきれないところです。
「大学生のアルバイトに高校生の答案の採点をさせる」、というなかなかのトンデモニュース。
うーん、ここまで来るとさすがに「共通テスト」の在り方に疑問を感じざるを得ないところです。そもそも、「記述形式」の導入に関しては初期段階から喧々諤々、百家争鳴状態であり、様々な問題が宙ぶらりんのままここまでやってきている現状がありました。新入試をいよいよ目前に控えたここにきて、これまで先送りにしてきたあらゆる部分が無視できないものとして表面化してきているように思います。
私個人としては、細かな部分であれこれと思うところはありましたが、「従来のセンター試験からの脱却」としてのコンセプトには大筋で同意していたわけですが、ここにきてこの暴挙。さすがにこれは擁護しきれない。ここまで来ると、後に引けなくなってしまっている感は拭えません。本気でこれでゴーサインを出す気なのでしょうか?
無理なら無理と言うのも勇気だと思います。
まずもって私が大学生の立場なら、この「アルバイト」に名乗りを挙げることはしたくありません。
もちろん、力量不足による不安というものももちろんあります。言っちゃ悪いですが、大学生なんて受験生に毛が生えた程度だと思うのです。そりゃ採点業務に十分耐えうる資質を備えた優秀な大学生もいるのでしょうが、果たしてそれがどれだけ期待できるのか、と言ったところでしょう。
採点には、「知識」はさることながら「経験」によるものも大きく、教員十年選手の私でも油断すると基準にブレが生じてしまいかねないほど繊細な作業となります。現に今正にそれに悩まされているわけですから。
生徒の作成する解答は正に生き物。事前の想定の遥か斜め上をゆく答案などざらなわけで、採点者にはそうした「イレギュラー」に適切に対処するだけのスキルが求められてきます。
他にも、「高校生の人生を左右する大事な業務を大学生に委ねていいものか」、という意見も出てこようかと思います。
私が大学生の立場だったら、このアルバイトを引き受けるに当たっての一番のネックはこの部分になるのかなと思います。とにかく「アルバイト」という手軽な響きに比して、そこに求められる責任が重すぎる。
恐らくそうした感覚を持っている学生ほどこの「アルバイト」は敬遠するでしょうから、自然と定員確保の為にバイト料は値上げされてゆき、結果、高騰化したバイト料目当てで応募する学生が一定数出てくるのではないかと思うのです。
となるとどうしても考えざるを得ないのは、果たしてそこに「使命」はあるのか、ということです。いや、そんなのは別になくたって構わないのでしょうが、だからといってあまりいい加減に採点業務に当たられても困ります。このあたりのバランスの取り方が非常に難しいように感じられるのです。
何よりも厄介なのは、採点に不備があったとしても、受験生がその事実を知ることができないということです。単純なマーク試験とは異なり、自己採点にも限度があります。国語の記述問題に関しては「点数」ではなく「段階」での評価が下されるというシステムも、そうした「採点ミスがあっても受験生がそれを知る術が無い」という問題に拍車をかけています。
そこには「採点が厳正かつ正確なものである」という「信頼」が不可欠となるわけですが、果たしてアルバイトの大学生にそこまでの責を背負わせることが妥当なのか、という疑問は当然ながら浮かび上がらざるを得ないわけです。
もう実施が目前に迫ってきている「共通テスト」。
最近では英語の民間試験で「TOEIC」が参加を辞退するなど、不穏なニュースを目にするようになってきており、一抹の不安を感じざるを得ない状況です。
ここまできて四の五の言うのはナンセンスなのでしょうが、生徒にとっては人生を左右する重要な入試なわけですから、少しでも全員が納得いくようなものとなるよう、最後の最後まで整備を続けていってほしいところです。