ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

悩みの「型」に陥る生徒たち

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テストと同時進行で教育相談を実施中。高校二年生の担任をしていますが、みんなそれぞれに悩みを抱えています。

 

教員生活も10年そこらになってくると、生徒から飛び出してくる悩みのパターンは大体出尽くした感がある。

「恋に恋する」ならぬ、「お悩みに苦悩する」、そんな生徒が結構いるのです。

せっかくなので、いくつかのパターンをご紹介。

 

【目次】

 

 

 

パターン① 「○○って意味があるんですか?」

 

○○に入る言葉は、

 

3位「学校行事」

2位「学校(に毎日登校すること)」

1位「勉強」

 

といったところでしょうか。

その他様々な単語を入れるだけで教員を困らせる質問を作ることができる、非常に便利なフレーズです。「生きることって何の意味があるんですか?」などと問えば、たちまち教員はたじたじになること請け合いである。良い子は決して真似をしてはいけない。

 

原理的に物事を考えてみれば、「意味が無いかどうか」は、その場では絶対に分かりません。少し歩いた後に後ろを振り返りながら、事後的に「あ、やっぱりこれってあまり意味が無かったな」としみじみ感じるもののはずです。

いや、それとて「これは自分にとって意味が無かった」ということに気付けただけでも、その人の人生にとっては大いなる意味を持つわけです。「意味が無いことを知れたことに意味がある」ということで、これはなかなかに逆説的。

 

そんなわけで、「○○って意味があるんですか?」と他人に問うている状況は、ただ単に「意味が無いと信じたい自分」がいるだけであり、大抵の場合は「私はそれが好きではありません」と同義です。やりたくないことを「意味の有無」という一見して哲学的な問題にすり替えているに過ぎない。「意味があるか無いかどうかは分からないけれど、少なくとも今の自分はそこに価値を見出せない」、それだけの話だ。結局はただのわがままで、哲学でも何でもない。

その場その瞬間で「○○が無駄」と言い切ってしまえるのは、エスパーか未来人のどちらかでしょう。

 

ということで、答えはこう。「いいからやってみなさい」。

アイデンティティを形成する今の時期には、損得なんて考えずに何でもやってみるのが一番良い。成功も失敗も、長い目で見れば等しく価値を持つ貴重な経験になるはずだ。

 

 

パターン② なかなか成績が上がらない

 

「なぜだと思う?」と促すと、大抵は「自分の努力が足りていない」と帰ってくる。

はい、お悩み解決。じゃあ努力をすればよろしい。

 

そう話すと、大抵は「それは分かっているのですが、どうしても努力できないんです」とくる。

そこですかさず「努力をしたいというその気持ちは本物か?」と問います。

 

世間の常識に流されてはいないか?

親の期待をそのまま真に受けていないか?

 

本当に自分が心の底から努力をしたいと思うのならば、大抵は誰に言われずともできているはずなのです。大抵は周囲の圧力に屈する形で「やらされている」状態にあるからなかなか本腰入れて取り組むところまで辿り着かない。だたそれだけなのです。

 

そこまで話をして、自己の現状を認識してもらえれば面談終了まであと一息。個々の詳しい状況を聞き、これからどうしてゆけばよいかを親身になって語ります。

親の期待に応えようとすること自体は悪いことではなく、むしろ立派な心意気です。社会の常識に迎合することも、やはりこのご時世においてもまだまだ必要な考え方です。

そうした外圧に潰されそうな生徒に、ほんの少し空気を入れてあげる。そうすることで内側からハリが出れてくれば、ほどよい弾力としなやかさを備えた丈夫な器が完成するはずです。

 

 

パターン③ 自分のしたいことが分からない

 

それが当たり前です。

人間は「分からない」という状態がデフォルトであって、そこから抜け出すことを志向してあれやこれやと発展を遂げてきました。自分の将来とて同じこと。

 

学問と言うものは、何か目的の達成のための手段として行う場合もあれば、その逆で学問自体を目的として追究する場合とがあり、そのどちらもが正しいはずです。だからこそ、「やりたいことが無い」ことを理由に日々の勉強を疎かにするべきではないし、むしろ、であればこそ日々目の前を通り過ぎる「知の入り口」とも呼べる授業は大切にしてほしい。

 

分からないからと言って歩き続けることを放棄してしまえば、そこでおしまい。後はその場で朽ち果てるだけです。大事なのはとにもかくにも歩き続けること。それが唯一にして絶対の対処法だと思うのです。

 

あまり深刻に考えずに、できることをひとつずつ丁寧にこなしていけばそのうちどこかに辿りつくし、そうして自分の力で見つけたものこそが自分にとって一番魅力的に光っているはずです。それに比べれば周りの人のアドバイスなど物の数ではないはずです。

 

 

悩みへのアドバイス。前から引くか、後ろから押すか

 

教員になりたての頃は「悩みに対して真正面からバシッと解決する答えを伝えなければ」と意気込んでいましたが、最近は少し肩の力が抜けてきたのか、「偏ったものの見方」や「自分を必要以上に追い込んでいる思い込み」を指摘するような受け答えをするようになってきたと感じます。

果たしてそれが良いのかどうかは分かりません。でも、目の前で悩む生徒は待ってはくれない訳ですから、手探りでやり続けるしかない訳です。

 

一番悩んでいるのは私自身、これからも精進します。といういつものオチで本日はおひらき。おあとがよろしいようで。