ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

世界三大「信用のならない」言葉

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【!CAUTION!】

 

人類は「言葉」を獲得して以来、あらゆるコミュニケーションを言葉によって行ってきた。大事な約束事については、はっきりと言葉で示すことで互いの信頼関係を構築してきた。言葉には魂が宿ると考え、「わざわざ言明したわけだから、それが裏切られるはずはない」という、無償の信頼によって我々の関係は成り立っている側面がある。

しかし時として、そうした信用を踏みにじるような、卑劣なフレーズが横行し、人々を混乱の渦に陥れてしまうこともしばしば起こってしまう。

 

 

私の愛読書である『クロサギ』(黒丸、原案:夏原武)。

純粋なる詐欺師(通称「シロサギ」)と、そんなシロサギだけを標的にする詐欺師(主人公「クロサギ」)との詐欺合戦が繰り広げられる、楽しくも勉強になる良書である。

 

クロサギ 1 (ヤングサンデーコミックス)

クロサギ 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

 

そんな『クロサギ』において、次のような名言が残されている。

 

「詐欺の本質は“騙す”ことではない……“信用させる”ことだ。」

 

そう、他者に自分を信用させるような言葉を吐くことと、相手を騙すこととは時として表裏一体なのだ。我々はそのことに留意した上で、次に挙げるような「信用ならぬ言葉たち」に踊らされることが無いようにせねばならない。

 

 

信用のならない言葉その①「宿題をやったけど家に忘れました」

 

ほぼ確実にやってない。

 

もう教師として働いてから、何度この言葉を耳にしただろうか。

宿題を期日に提出できない生徒がこの言葉を発するわけだが、大抵は「まだやっていない」と同義である。「宿題なんて全然やってましぇ~ん」だと大目玉をくらうことは確実なため、少しでも自身の罪を軽くすべく、このような言い訳をしているわけだ。やったなら自信満々で持ってくるはずなのだ。「机の上に置いてそのままでした」なんて、そんなことがあるはずが無い。通学カバンがあるのだから、いちいち机上なんぞに置かず、終わり次第カバンの中に突っ込んでおけばいいわけである。忘れようなどないのだ。

これはもはや古典的とも言え、一瞬でその嘘が看破されるようなコテコテな言い訳にもかかわらず、なぜか結構人気が高いフレーズである。

 

ただ、やっかいなことにごくごく稀に「本当にやったけど忘れてしまった」という生徒もいたりする。大抵は「普段は宿題なんて忘れることはない優等生」で通っているので、その辺りの情報から嘘か否かはある程度は判断が可能であるが、これも確たるものではない。

 

ともかく、このフレーズはその場では完全な証明が不可能であるから厄介だ。

「やったことの証明」をするのは非常に簡単で、宿題の現物を提出すればよいわけである。しかしこのケースでは、その肝心な「現物の提示」ができない。なぜなら「持ってくるのを忘れた」から。

 

ここに脱出不可能な完全なる堂々巡りが完成する。真相は永遠に闇の中である。

 

かと言って、翌日まで期限を延ばすと、その生徒は家に帰ってから宿題を済ませ、それをあたかも「あくまでこの宿題の解答は昨日の朝の段階で既に完了していたわけで、決して昨晩必死こいて解いたわけではない」という体で提出をしてくるのである。彼らは「提出日を過ぎた」ことの非は認めても、決して「宿題に手を付けていなかった」ことの罪を頑なに認めようとはしない。

そうなると、こちらが頼れるのは本人の自己申告のみである以上、「果たしてその宿題が本来の提出すべき期日に終わっていたのか否か」について真偽を確かめる術が失われてしまっている。これはゆゆしき事態である。

 

解決策としては、「やったけど家に忘れました」は一切認めない、というルールを機先を制する形で生徒に突きつけることが最も手っ取り早いだろう。「宿題を教師の手元に提出するところまで含めての宿題である」、ということを徹底するわけだ。「家に帰るまでが遠足」「提出するまでが宿題」。実にシンプルである。

 

 

信用のならない言葉その②「怒らないから正直に言ってごらん」

 

大抵は怒られる。

 

そもそも悪事の吐露を促しているわけだから、白状された時点で咎める気満々である。「正直に言ってくれて偉いぞ」と、その正直さを褒めたところで、やはり犯した悪事に対しては何らかの注意をしなければならない状況のはずだ。こうした構造から考えて、そもそもこのフレーズは重大な欠陥を抱えていると言えるだろう。

というか、この発言をする時点で、ほぼ確実に相手が犯人だと決めつけているようなものであり、もはやこのフレーズは誘導尋問に近い明らかなる罠である。穢れを知らぬ無垢な子どもは「怒られないなら打ち明けようかな……」とまんまとその術中に嵌められ、結局は大なり小なり怒られてしまう運命にあるわけだ。大人って汚い。

 

 

信用のならない言葉その③「行けたら行く」

 

行かない。

 

その場しのぎの代表格のようなフレーズであり、これは世間で最も使用頻度が高いやつである(やすてる調べ)。

 

 

ただ、これとてやはり完全に嘘とは言い切れなかったりする。

「何だかんだで行けたから行った」も稀に存在する。

 

例えば、本日の私自身の経験なのだが、大学時代の友人から連絡があり、「東京から帰省するから食事をしないか」と誘われた。場所は自宅から40キロ程離れた市街地である。ただ、日中は部活動の大会引率業務でこれまた往復100kmほどの会場に向けて運転をせねばならないことが前もって分かっていたため、その友人には「かくかくしかじかだから、“行けたら行くよ”」と返した。正直部活の引率できつかったため、行きたくは無かった。でも、久々に会う友人との約束も無下にはできないため、結局疲れた体に鞭を打って車を飛ばして会いに行った。結果楽しかった。行って良かった。

 

 

で、何が言いたいかと言うと、そんなこんなでさっき(23時過ぎ)家に帰りついたということと、部活動の引率業務も含めた200km近くの運転とで疲れ果てたため、今日はこの辺りで勘弁願いたいということである。

 

続きは書けたら書きます。