ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

「Kindle Paperwhite」を購入してから改めて気づいた、紙の本の良さ

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やたらと長いタイトルになりましたが、今回は電子書籍と紙の書籍のお話。今更感ありありです。

 

私は人並みに読書はしていると思うのですが、「国語教師」というカテゴリの中ではかなり読書量が少ないはずです。

最近ネット上で様々な方のブログを拝読させていただいているのですが、非常に勉強になります。その中で思うのは、直感的に「この人は凄い」と感じる方は総じて博覧強記である、ということ。書かれる内容にも説得力があるし、何より言葉遣いや文章の息遣いに知性を感じます。

 

そこで私は決断しました。「やはりもっと読書をせねば」、と。

そんなこんなで、昨年末に思い切って「Kindle Paperwhite」を購入してみました。

 

  

正直、お値段はそこそこするため若干躊躇しましたが、背水の陣を敷くためにも購入を強行。これでもう読書しまくるしかないのである。

 

このデバイスの凄さについては今さら私が語るまでもないでしょう。
「軽くてたくさんデータが入るため持ち運びが楽」だとか、「バックライトがあるため暗いところでも読める」だとか「防水機能があるのでお風呂でも読める」とか、だいたいそんな感じ。既に数多くの方がレビューしていますので、購入に踏み切れない方の背中を押す役割はそちらに譲りたいと思います。

 

 

さて、今回の私はむしろその真逆、kindleにしばらく触れてみて気が付いた「やっぱ紙の書籍っていいよね」という部分について述べたいと思います。

やはり物理的な本にしかないメリットというものは大きく、いくら電子書籍の進歩が凄まじいとは言えども、まだまだ紙の本に及ばない(と個人的に考える)面があるのが事実です。

 

紙の書籍は必要なページにアクセスする速度が桁違いに早い

私は読書をしながら付箋をベタベタ貼りまくります。百円ショップで購入できるフィルム付箋(極細タイプ)がすごく便利で愛用しています。

示唆に富む内容の本だと、それこそ全てのページに付箋がびっしりと張られるということもザラ。読了後には付箋の林が出来上がっています。

  

そうしてマーキングしておくと、後になってからでも必要に応じて瞬時に目的のページにアクセスできるのがかなり強い。パラパラ漫画みたいにページをバラララララ……と一気にめくるあのスピード感。あれは現段階の電子書籍には出せないところ。

確かに、電子書籍にもマーカー機能や栞機能があり、瞬時にそのページに飛ぶことができるようになっているのですが、目的のページに辿りつくためには余計なワンアクションを要求され、どうしてもテンポが悪い。また、記述内容を比較したい時などは、ページを行ったり来たりする必要がありますが、電子書籍はこの作業も苦手です。いちいちページ数を入力し直さねばならないため、どうしても速度が削がれてしまい結構なストレスです。

 

 

読書の実感を体に残すためにも、本の重みを手で支える感覚やページをめくる感覚は必要

 

これは人によりけりなのかもしれませんが、少なくとも私はそう感じています。なんというか、電子辞書では「読んだ実感」みたいなものが感じられません。例えるなら、無機質な宇宙ステーションの中でチューブ状の宇宙食を食べている感じ。栄養は摂れているのに、何か物足りない。そんなモヤモヤ感。

 

これに関しては、『街場の文体論』(内田樹)にて、ストンと腹に落ちるような印象に残る記述があったことを思い出し、久々に本棚から引っ張り出して再読。

 

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)

 

 

電子書籍の技術的な部分はまだ未熟であった2010年の時代の内容を反映した本ということもあり 、若干の古さを感じるのですが、「紙の書籍」と「電子書籍」の比較を行う部分は的を射ていると思います。

 

同じようなエピソードでも、同じような形容詞でも、それが物語のどの頁に出てくるか、前のほうか真ん中あたりか終わりのほうかで、解釈が変わる。そういうことを僕らは自然にやっている。皆さんはたぶん人間は同じ読解力、同じ読解ルールで本を最初から最後まで読み通していると思っているかもしれません。違いますよ。実は一頁めくるごとに僕たちは解釈のしかたを変えている。

 

もちろん、デジタル表示で『残り何頁です』ということは見ればわかります。でも、頁数をチェックしながら、あと残り何頁だからそろそろ読み方を変えないといけないとか、そういう面倒なことは僕たちはできないんです。実際には、手に持った本の頁をめくりながら、手触りや重み、掌の上の本のバランスの変化、そういう主題的には意識されないシグナルに反応しながら、無意識的に自分の読み方を微調整しているんですから。その作業は微細すぎて、読んでいる本人も自分が何をしているのか、気がつかない。リテラシーとはそういうものなんです。

 

読み終えたときに、「ああ、もう少し読んでいたかったけれど、まあ十分に楽しませてもらったから、これ以上欲は言うまい」というくらいの、程よい不満と、ほどよい満足がないまぜになったような状態を目指す。そういうリテラシーが働かないと本を読むことはこれほどの快楽にはならない。

 

それこそ紙媒体でこの本を読んだのですが、「そうそう、そういうこと」と思わず笑みがこぼれたのを今でもはっきり覚えています。自分では何となく感じていたことをビシッと言い当ててくれる文章に出会える嬉しさ。読書の醍醐味の一つですね。

また、同書では書店で紙媒体の書籍を買うことについて次のように述べています。

 

「宿命の本」になるには、「他の人たちがその価値に気づかなかった本」に自分だけが出会ったという物語が必要になります。だから、誰かに勧められたわけじゃなくて、自分が自然にその本に惹きつけられたという物語が必要になります。

 

これにも共感。

そう、確かにAmazonで本を買うのは「欲しい本」が既に定まっている時であり、我々はそこに未知の出会いを求めていません。一応こちらの購入履歴から「お勧めの本」を提示してくれるわけですが、それでは「宿命の本」にはなり得ない。ではランダム表示にして無作為に表示させればよいかというと、そういうわけでもありません。

その辺りは紙の書籍を並べているリアル書店に軍配が上がるところです。

 

というわけで、kindleを購入することで、確かに読書量は増えるかもしれませんが、自分の興味関心を広げてくれる本と出合うのは結構難しいところです。

 

 

結局は「慣れ」が重要?


とまあ色々考えてみたけれども、私が紙の書籍にメリットを感じるのは、「紙の書籍に慣れているから」という経験による部分も大きいようにも思います。今後電子書籍に慣れていくことで、その辺りのバイアスは自然と均されていくものなのでしょうか。
電子書籍が流通している時代に生まれた世代は、きっと私とはまた別の感覚を持っているのでしょう。これから先は教科書も電子化する時代ですから、もしかしたら「紙の書籍なんて読んだことありませんし、読む必要も感じられません」とか言ってくる生徒を教えなければならない局面は意外と早くやってくるのかもしれません。

 

時代の流れに合わせて感覚もアップデートしておく必要がありあそうですね。

やはり、これからもたくさんの本を読んで勉強していこう。