インターネット環境から遮断されると、いかに自分が普段からネットに頼っていたのかということを痛感させられます。そして、いかに自分が無力なのかも。
デジタルデバイスの発展ばかりに目を奪われがちだけれども、そうした情報端末と二人三脚で進歩してきた通信技術の進歩の方がむしろとんでもない革命なのかもしれない。
一昔前までは「パケット」なる単位を綿密に計算し、絵文字を駆使しながら一文字単位でメールのやりとりをしていたのだ、と現代高校生に話をしても、容易には信じてもらえません。ポケベル世代が暗号めいた語呂合わせを駆使していたことなんて、もう教科書上の出来事のように感じられているのでしょうか。
いつの間にやら携帯電話での通信にも「パケホーダイ」の定額プランができ、今となっては世界中あちこちを飛び回る(ただし田舎は除く)Wi-Fiに接続すれば大容量の動画だって見放題。凄い時代になったもんです。
最近は仕事で扱うドキュメントファイルも全てクラウド管理しており、USBフラッシュメモリを持ち歩くことをしなくなったので、ネットから隔絶された空間では仕事もろくにできません。
自宅や職場にはWi-Fi環境が整っていることもありスマホのキャリア通信も最小限に抑えているので、あれやこれやとスマホで暇つぶしをしていたら、あっという間に通信制限を食らってしまいます。ただでさえ来週は出張があるので、なるべくならデータ容量は温存しておきたいところ。
でも、この時代どんなアプリでも気が付けばこっそりと通信していやがるんだよなぁ……抜け目ないことよ。
となれば、結局は紙の本を準備して読書に勤しむのが一番よい暇潰しということになりそうです。
スマホを持つようになってからというもの、腰を据えて読書をする機会というのは「病院の待合室」か「公共交通機関での移動中」のどちらかに追いやられてしまっていた私としては、またと無いいい機会かもしれません。
にしても、人類はもうすっかりネット環境に依存をしてしまっている。
人類を滅ぼしたければ、ネット環境を牛耳るのがもっとも手っ取り早そうですね。AIが自我を持ったらきっと真っ先にその辺りの権限を奪取されてしまうのでしょう。いや、でもその時にはAI自身も完全に無線化されているだろうから、ネット環境が無ければ何もできなそう。
まぁ、さすがにそこまで馬鹿ではなかろう、そんなAIには支配されたくない。