ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

何事も鍛え続けることが大切

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本日は部活動の練習試合にて審判をしたのだけれども、結構久々だったため体が訛りまくりでした。全身が痛い……。

 

【目次】

 

 

高度な専門性と十分な体力を求められる審判の難しさ

 

バスケットボールの審判って、我ながら数ある競技の中でも割とトップレベルに難しいやつなんじゃないかといつも思います。

 

単純に試合についてこれるだけの体力を求められる審判。

細かいルールの知識を元に適切に判断を下すことを求められる審判。

複雑なプレーの中で瞬時に判断を下すことを求められる審判。

 

世に「審判」に求められる素養は数あれど、バスケの審判って全部使うからね。

全力疾走しながら複雑なルールを元に、敵味方入り混じっての秒単位の駆け引きが常に行われているプレーに対して適切な判断を瞬時にこなすとか、正直脳の処理が追いつきません。

「あ! 今のファウルだ!」って思った瞬間にはもうそのプレーヤーその場にいないからね。お茶の間で野次を飛ばしてスポーツ観戦するのとは、緊張感が異次元レベルで違います。

体だけでなく脳を酷使する作業と言えるでしょう。そりゃあ厳しいライセンス制度にもなりますよ。

 

そんなわけだから、私は取得する気が無いというよりも、取得する余裕が無いわけです。

 

www.yasuteru24.com

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授業をし続ける大切さ

 

そんなわけで、専門性の高いものについてはどうしてもブランクと共に感覚が訛ってしまいます。これは授業に関しても言えることでしょう。

 

テスト期間や長期休み期間は長らく授業が無くなってしまうわけですから、いざ授業再開となるとなかなか勘を取り戻すのに苦労します。

 

また、勤務校は複数学科を有する高校のため、その学科によって授業の目指す方向性は結構変わってきます。正直若いうちにあちこちを幅広く経験しておきたいところではあるのですが、恐れているのはそれが悪い方に作用しないのか、ということです。

現在は普通科の進学コースのみを受け持っているのですが、あまりそこから離れすぎると、ただでさえ現在入試制度の変更でドタバタしているので下手するとそんな流れから置いてけぼりを食らいかねません。

多くの経験を万遍なく積むのか、それとも勘を鈍らせぬように一極集中していくのか。これは正直どうすべきかが難しいところです。

 

 

教科を学び続ける大切さ

 

一方で生徒の方でも同じような現象は起こっています。

一つの科目の勉強から長らく離れてしまうと、折角身につけてきた知識や技術が鈍ってしまうというのはよくあることです。だからこそ理想は「日々、全ての科目を万遍なく」なのでしょうが、これがなかなかに難しい。

 

現在普通科の三年生を受け持っていますが、彼らはぼちぼち大学受験に向けて動き出していく際、「国語」を結構軽視します。いや、軽視と言うと語弊があるのかもしれません。正確には「他の教科の勉強が苛烈を極め、国語をやっている暇がない」と言った感じでしょうか。まぁ、国語教師が言うのもなんですが気持ちは分からないこともありません。

 

進度が決まっており、きっちりと順を追って学んでいかねばならない教科に比べ、国語はそんな決められた順序はほとんど存在しません。特に現代文ではそれが顕著です。

それを受験生は「勉強しなくてもいい」あるいは「大体わかるから後回しでいい」となってしまっているのでしょう。うーむ、非常によろしくない傾向と言えます。大抵そういう生徒は国語の成績が伸びないか、ムラがある不安定な成績となってしまいます。

 

 

生徒に鍛え続けさせるために自分が鍛え続ける

 

これは往々にして教える側にも問題があるようにも思えます。結局、授業でやっていることが一体どんな力を養うことになり、生きる上でそれがどんな風に役立っているのか、という「学ぶ意義」を生徒に示し切れていない。やはり教える側が専門性を磨き、そうした生徒の問に答えるだけの授業を展開していかねばなりません。

 

 

となると、やはりある程度は方向性を決めて一極集中した方が良いのかもしれないなぁ。悩む。