ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

正しい会議の進め方は、誰かが教えるべきなのか? ――「生徒の主体性に任せる」の難しさ

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さあやってきました生徒総会のシーズン。

毎度毎度、予定調和とも言えるお芝居にも似たやり取りが無為に交わされるだけの場となっていることに疑問を感じずにいられないところです。

果たしてこの会議に何らかの意義を感じている生徒はどれくらいいるのだろうかと、そんなことをぼんやり考えながら体育館の後方で様子を眺めています。

 

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絶対にもう少しやりようがあるはずなのだ。

ただ、それは私一人の力ではどうしようもないことは確か。非常にもどかしい。

きっと他の職員も同じように感じているはずなのだけれどもなぁ。なんとかこの現状を打破できないものか。

 

 

「生徒の主体性に任せる」の落とし穴

 

最近はあちこちで「生徒の主体的な活動が最上の学びをもたらす」という言説を多く目にするようになりました。アクティブラーニングや学び合い、プロジェクト学習に探究活動。時代の流れを踏まえれば、この潮流の変化には疑いの余地は無く、私自身もこれまでの一方通行的な授業からの転換を図るべく奮闘する日々を送っています。

方向性は間違っていない。時代の要請に従えば、学校教育は絶対にこの方向に舵を切っていくべきです。

 

「学校」をつくり直す (河出新書)

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シンプルな方法で学校は変わる 自分たちに合ったやり方を見つけて学校に変化を起こそう

シンプルな方法で学校は変わる 自分たちに合ったやり方を見つけて学校に変化を起こそう

 

 

 

ただ、少し気になるのは、「生徒主体」という言葉を「全てを生徒に委ねるべき」とばかりに、「放任」にも近い教育が繰り広げられる場面を目にするようになってきたことでしょうか。果たして本当にそれでよいのだろうか?

 

 

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これまでの教育が、生徒に過剰に干渉し、もはや「支配」とも呼べるものであった、という反省が行き過ぎて、逆に「極端に手をかけようとしない」方針が横行しつつあるようにも思えるのです。

とある方面への「極端」から、180度逆方向への「極端」への転換。これは歴史上まま目にする光景であるわけですが、大抵それでうまくいったためしは無いわけで、この現状には結構な危機感を覚えています。

 

何度も言うけれども、私は「生徒の主体性な学び」には大賛成です。その効果の程や必要性は重々承知しています。ただ、その上で「だからといってほぼ全てを丸投げするのは何か違わなくない?」と思うわけです。よく言えば「生徒の可能性を信じる」ということになるのでしょうが、悪く言えば「ほったらかし」となりかねない。

その結果生み出されるのが、勤務校における「ただ時間を浪費するだけの生徒総会」のような、生徒の効果的な学びに繋がりにくい活動なのであれば、これは何らかのメスを入れなければなりません。

 

 

どこまで事前指導をするべきか

 

やはり、「総会」というものの目指すところや、円滑な会議進行のための基本的な考え方、相手に聞き取ってもらえるための効果的な発言の方法、その他もろもろ最低限の「心構え」的な部分は前もって教えておいてもいい部分だとは思うのです。こうしたことさえも「現場を経験させる中での生徒の自発的な気付きに委ねる」となってしまうと、これはもう高校三年間では到底時間が足りません。

「気付くまで待つ」とは逆に言えば「いつまでたっても気づかない場合でも一切手出し無用」ということであって、もちろんこれは極論ですが、でも非常に効率の悪いやり方だと思うのです。せめて学校教育の現場では、教師の側から「ある程度気付かせる」というデザインをしても構わないのではと思うわけです。

 

恐らく「生徒の主体性を尊重すべき一派」と反目しがちなのは、こうした「事前指導」が、いわゆる「お仕着せ」あるいは「予定調和」を志向するものであると捉えらてしまうからなのだと思います。

こちらの言い分としては、あくまで「道具」の使い方を教えているだけ。それを「このタイミングで、このように使いなさい」とまでは細かく指示しようとはしません。

 

うーん、それでも駄目なのかなぁ。

変化が激しい転換期を迎えている今、大きく変わろうと努力する人(あるいは、従前の手法に固執する人)ほど周囲を見回す余裕はないでしょうから、なかなかこちらの言い分を受け入れてもらうことは難しいのかなと感じます。

学校全体として統一した指導をするためにも、この辺りはうまく共有しておきたいところなのですが……。

さて、どうやってそこまでこぎつけるかなぁ。難しいところです。