ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

いよいよブログ連続更新150日目 ――やる気を出すにはまず自分のことを知るところから

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さて、なんだかんだでブログの連続更新が150日目を迎えた。

一体いつまで続けようか、正直もうここまで来たら意地でもある。引くに引けなくなってしまったとも言う。

 

 

 

まぁ、そんなことはどうでもよくて、今回は定期考査の勉強に向けて生徒にどうやってやる気を出してもらおうかというお話。

 

 

何事も「やらされる」から嫌になる

 

定期考査まであと数日。ここまできて尚、勉強に熱が入らない生徒が結構うじゃうじゃいる。最近はそんな傾向が強まっているように感じるところである。

それらすべての生徒に共通するのは、「勉強する目的が自己の内部に存在していない」ということだ。「親に言われたから、あるいは、親の期待に応えたいから」「大学に進学することが“常識”だから」「大人になれば何とかして働かないといけないから」などなど、彼らは一様に傀儡人形のごとく、外部からエネルギーを注がれないと動けない状態にある。そりゃあやる気も起きないというもの。

 

ブログとて同じこと。

何度も書いてきたが、ブログを継続することができているのはひとえに「私自身が書きたいから」である。

 

www.yasuteru24.com

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もしこれが業務の一環であったり、他の誰かの意思を伝達するメッセンジャー的な内容であったり、何か外的な要因に突き動かされてのものだったりしたら、恐らくここまで続いてはいない。どこかで面倒臭くなってとっくにやめていただろう。

 

 

 

自分を知ることの難しさ

 

さて、話を戻すけれど、とにかく勉強嫌いの生徒の説得ほど骨の折れることは無い。

 

そんな生徒に話をするのは、「まずは自分のことを知りなさい」ということだ。

何事も一心に取り組めない人間には、文字通り「自分の心」が抜け落ちていることが多い。肝心のエンジンが搭載されていないため、どれだけガソリンを注いだところで殆ど意味がない。

真っ先にすべきなのは、自分の胸の中に核を埋め込むこと。オズの魔法使いに出てくるブリキの木こりのように、失われてしまった「熱いハートを」探さねば、いくら外圧に促される形で勉強をして、知名度の高い大学に進学したところで、その先に待ち受けている「自分自身」の人生の舵を取ることなどできやしない。

 

自分という人間が、一体どんなことに喜びを感じるのか。何をしている時が一番楽しいのか。何に対して怒りを感じ、何を恐れ、何を欲し、誰を敬い、どこに向かおうとしているのか。

それらを考えるところから始めなければ、いつまでたってもどこか他人事でふわふわとした人生を送るだけである。

 

ただ、これらの問いに自信を持って答えられる人間は意外と少ない。特に、高校生ともなればなおのことである。「ジョハリの窓」ではないが、自分のことを知っているようでいても、意外と全く知らない自分の姿があるというのは珍しいことではない。

 

 

最初は簡単なことでもいい

 

そんなわけだから、いきなり「自分を知れ」と言われても即座に「ハイ分かりました」とはならない。自分の仮面を外して素顔を晒すのには、それほどの時間と勇気を要するということだ。焦りは禁物である。

 

とりあえず今回は、「テストに向けて一つ目標を立てる」ということと、それに付随する形で「目標が達成できたらどんなご褒美を自分に与えるのか」「逆に達成できなかったらどんなペナルティを自分に課すのか」の三点を考えさせた。これは、ポジティブ・ネガティブの両面から自分のモチベーションをコントロールするための心のありようについて自覚させようとの狙いである。

一見単純なようだが、結構これを設定するのは難しいようで、「何を書いたらいいか分かりません」という生徒は多数存在する。中には「アイスを食べる」「思い切り寝る」といったシンプルでありがちな内容から、「スマホを売る」「SNSのアカウントを削除する」といったなかなかに過激な内容まで、実にバリエーションに富んだことを書いてくるから面白い。

 

これまでの経験上、最初はハチャメチャな内容を書いてくる生徒であっても、何度かこの作業を繰り返させることで次第に自分の限界ギリギリを攻めた絶妙な設定を打ち出せるようになってくる。自分にしか分からない、自分を奮い立たせるラインを自覚できるようになってくるわけである。

 

高校生は意外と自分に関心が無い子が多い。そんな状況では、「自分が今何のために行動しているのか」すら分からぬまま、誰かの言いなりになることしかできなくなってしまうだろう。そんなことにならぬよう、折に触れて自分自身と向き合う機会を多く設けてあげたいところである。

 

 

行き詰まったら、自分の胸に手を当てる

 

同時期に始めたブロガーの方も、もう大半が更新をやめてしまっている。

別に個人の自由であるわけだから、それに対して他人がどうこう言う資格は一切ない。

 

ただ、中には自分自身でもどうすべきかが分からずに宙ぶらりんな状態で更新し続けているような方がいるのもまた事実である。(もちろん、本人がブログ内で言及している場合が大多数だけれども、中には文章からそれが透いて見えてしまっている場合もある)

 

勉強にせよ、ブログにせよ、嫌なら辞めたって構わないはずだ。

モチベーションが枯渇してしまい、それでもなお「続けたい」という思いがあって葛藤している人に対しては、「まずはゆっくりと自分のことを考えてみてもいいんじゃない?」という言葉を贈りたい。

そこから見えてくることもきっとあるはずだ。