今年は実習生が多いので、この時期は様々な教科で研究授業が実施される。
「たかが実習生の授業」と侮るなかれ。毎回たくさんの気付きを得ることができる貴重な機会だ。
【目次】
実習生にどこまでのレベルを求めるべきか
教育実習生はいわば教員0年生。多少の教育学の心得があるとはいえ、まだまだ発展途上の段階である。そんな立場で行う授業なのだから、甘いところがあって当たり前である。
だからこその「実習」。実習生は学ぶためにこの場にやってきているのだ。
ただでさえ教員志望者が減少しているこの時期に、こちらが現場レベルの高い水準を求めすぎて、前途ある若者に教育現場を敬遠させてしまうことに果たしてどれほどの意味があるというのか。
実習生を取り巻く環境を鑑みるに、そのあたり、自分たちで自身の首を絞めているようにも思えたりする。
「教室」という密室の解放を
実習生はもとより、新卒の先生にいつも言うことだが、私自身はいつでも授業を見に来てもらって構わない。何なら、途中入場、途中退場でも大歓迎だ。
高級ブティックのように、中身が大層ご立派でも容易に入り込めない雰囲気のお店よりも、たとえ中身がそこそこであっても気軽に入ってこれる大衆店を目指したいところだ。その方が経営的にもよろしいはずだ。
別に自信があってそれを後輩たちに誇示したいというわけでは決してない。むしろ、まだまだ至らぬところが多すぎて授業後にはほぼ確実に自己嫌悪に陥っているくらいである。となれば、ベテランの先生にも来てもらって有意義なフィードバックをガンガン貰いたい。
ただ、どうも話を聞く限りでは多くの教員は自分の授業をあまり他人に見せたくないものらしい。これは勤務校だけの傾向なのかもしれないが、教員間で共有されているのは授業の進み具合ばかりで、細かなノウハウはほとんど共有されることなく各々の方針で淡々と進められている感が強い。
社会に開かれた学校だのなんだの言う前に、そもそも内部が全くオープンになっていない、という状況だ。
「評価はしたい、でもされたくないの」精神
教師が授業を見られることを嫌がる背景には、日本人の粗探しを優先する陰湿さが多分に影響を及ぼしているはずだ。
日本人は短所を潰すことに腐心する傾向が強く、どうしても否定的なフィードバックを他者に与えがちである。もっと長所を伸ばす方に意識を向けたってバチは当たらないのではないか。プロのライセンスを有する教員間ではまだしも、せめて実習生にはそうした余裕を持って接したいところである。
試すことと試されること。評価することと評価されることとはほぼ表裏一体だ。
それこそ「山月記」の李徴ではないが、他者からの評価を恐れるあまり、知らず知らずのうちに高圧的な態度になってはいないだろうか。他者に強く当たる人間ほど、逆に打たれ弱いというのは心理学の鉄則である。「攻撃は最大の防御」と言われるゆえんはここにある。
たとえこれから先どれだけの経験を積んだとしても、評価される勇気、あるいは評価を素直に受ける謙虚さを持ち続けたいところである。
過ぎたるは猶……
だからと言って別に甘やかせと言っているわけではない。
彼らとて、実習とは言えどその責務の重さは重々承知の上で来ているはずである。
いみじくも「先生」と呼ばれる立場で学校現場に足を踏み入れてきた以上は、言い訳のきかない真剣勝負である。そこで舐めた態度を取られてもそれを見過ごすほどこちらもお人よしではない。
何でもかんでも容認していては、逆にその人のためにならない。
同じ人間として敬意を忘れずに接していきたい。ただそれだけである。