中間考査も終わって、生徒たちの学習に対するモチベーションの低下が凄まじい。
そりゃそうだよね、私だってモチベーション上がらないし。至って正常な状態だと思います。
ただ、ここであまりだらだらされても後々に大きく響いてくるため、あまり看過もしていられない。なんとか策を練りながら生徒たちのモチベーションを上げていく必要があります。
理想と現実のはざま
モチベーションを上げるための手立ても様々です。
努力を続けることが、いかに自身の未来を明るいものにしてくれるのか。あるいは、成長することそれ自体がなんと喜びに満ち満ちたものであるのか。そんなことを伝えながら、たゆまぬ努力が継続できるようなだめすかしてあげる。そんなポジティブなやり方が理想。
そうはいっても、実際の現場において手っ取り早いのはお尻をひたすら鞭で叩くようなやり方だったりします。
ただ、こんなご時世ですから、いかに本人たちにお尻を叩かれている苦痛を実感させずに前に走らせるか、というところが腕の見せどころです。あからさまなスパルタが通用するほど世間は寛容ではなくなっているし、何より生徒たちだってそんな苦し紛れで原始的なやり方に乗ってくるほど甘くはない。
なるべく前向きな言葉かけを
学習記録を毎日つけさせているのので、(自己申告ではありますが)大体の学習時間の推移は見て取れます。
学習の意欲が明らかに低下している生徒に対しては、やはりそれなりの厳しいコメントをつけるわけですが、なるべくただの高圧的な注意で終わらぬように言葉を選びながらコメントしていきます。
具体的に意識しているのは、できていないことよりも、達成できている部分をなるべく多く見つけてその努力自体を徹底的に褒めてやる、ということでしょうか。とにもかくにも生徒のやる気を喚起するためには、なるべく肯定的なフィードバックを与え続ける。その一点に尽きます。
毎日の学習に、さりげなく応援メッセージを忍ばせる
古典を受け持つ生徒には、大学入試の過去問をベースにした、基礎知識を補える一問一答形式の問題を日々課題と称して課しています。
大体30分もあれば終わるような内容です。大きな負担にならないようにしながらも、忘却曲線を意識しながら、なるべく多くの知識を効率的に定着できるように最適のやり方を模索しながら実施しています。
そして、課題プリントの片隅には、なるべく生徒のやる気を喚起するようなコメントを手書きで書くように心がけています(最近忙しいためサボり気味ですが)。やはり手書きだと、生徒はそこに注目してくれます。これは無機質なワープロの印字には無いメリットだと言えます。
コメントの内容も、なるべくタイムリーな内容にすべく、その場その時の生徒の様子を見ながら即興で書くわけで、これが結構考えるのが大変だったりするわけです。毎日書いているこのブログと似たり寄ったりで、その場その時の思いつきを書くわけです。
本日書いたのは、大体こんな内容。
疲れたのなら、休めばいい。
できるのなら、サボらずにやれ。
結局はこれに尽きる。無理をする必要は無いけれど、自分の明るい未来のことを思えば、できることはやっておかねばなるまい。要はそこに自分で気付けるか否かということです。そんな思いもあって、自戒の意味も込めたコメント。
興が乗らないのに、無理を通してもあまり意味はありません。大抵の場合、道理は引っ込んでくれず、心身ともにいらぬ疲弊を招くだけです。意欲が低下している要因を強制的に排除するか、気持ちを切り替えるためにも、すっぱりと切り替えるか。できることはそのぐらいしかないと思います。
一方で、やれるはずなのにやっていないのであれば、それは自制してやっていくしかありません。これはもう誰かに頼れるものではなく、自分自身で何とかするしかないものでもあります。
結局はそうした自分の状態は自分しか分からないのだから、自分で自分をコントロールできるかです。
まぁ、口で言うほど簡単ではありません。大人すらこれがうまくできていないのですから。
長い年月をかけ、多くの失敗や挫折を経て、自らの経験から学び取ることが一番の近道。そんな生徒の自己成長を見守れる教育を目指していきたいものです。