ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

「やる気スイッチ」なんてものが果たして本当に存在するのか?

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テストの採点をしていると、点数をあげるために作問したサービス問題で点を取れていない生徒が一定数いることに頭を悩ませます。

わざわざ範囲をきっちりと指定し、「ここからそのまま出す」と宣言しているにもかかわらず見事に間違っている生徒が一定数存在している。これはもう記憶力の差とかそういうものではなく、単純に勉強をしていないと考えて間違いない。

勉強に着手できなかった理由は多岐にわたっており、中には本人の力の及ばぬやむにやまれぬ複雑な事情に支配されている場合もあるのでしょう。ただ、本当に点数を取って欲しいと思って誠心誠意サービスした問を落とされてしまうと、どうしてもそこに「やる気の無さ」を感じざるを得ないところです。

 

 

やる気発動の複雑怪奇なメカニズム

 

一昔前コマーシャルのフレーズで使われた「やる気スイッチ」という言葉。

よく三者面談などでも保護者から「うちの子のやる気スイッチをぜひ押してあげてください!」なんて言われたりするけれど、正直これがものすごく難しい。個人差が激しすぎて、しかも正解へのアプローチが千差万別過ぎて、正直お手上げとなる局面の方が多かったりします。

 

ある生徒には通用したやり方が、他人には通用しないということは日常茶飯事であって、そもそもそれは当たり前のこと。個に応じた働きかけが必要です。いや、下手をすれば同じ生徒であっても時期や環境が変われば同じやり方は通用しないこともまま起こり得ます。

とにもかくにもあらゆる要因が複雑に絡み合っており、心理の回路が幾重ものプロテクトによって強固に深層心理に押し隠されてしまっているから厄介なのです。こちらが必死に手を変え品を変え、押して、引いて、回して、持ち上げ、なだめ、すかし、おだて、祭り上げ、脅かし、餌をまき……そんなこんなで必死にやる気を引き出そうとしてなお無反応を貫かれることもざらです。そして、半ば諦めて放置していたら気付けば勝手にやる気になっていたりする。

本当にこのメカニズムは謎めいており、毎年のように人間心理の深遠を垣間見ます。

 

 

希望があるからこそ未来に向かって歩を進める

 

強いて言えば、「やらねば!」という内発的な動機をいかに引き起こすことができるのかがカギのように思います。

ただ、それとてやり方は様々あります。一番理想的なのは「希望」を喚起することでそれを原動力とさせることでしょう。いかに楽観的ではない、現実的な明るい未来を生徒に提示できるのか。そのうえで、今頑張ることがこれからの自分の人生にどうプラスに働くのか、ということをいかに理解させられるのかがやる気を生み出すためには重要になってくるはずです。

 

ただ、手っ取り早いのは「絶望」を原動力にするやり方であるのもまた事実。これは「今頑張らなければ将来苦労するぞ」と脅しをかけることであり、高校生であれば「大学に受からないぞ」とか「良い企業に就職できないぞ」といったことを仄めかすやり方がこれに相当するでしょう。

しかし、世間で横行しているこの手の発破のかけ方は、お察しの通り全くスマートではない。これは根本的な解決には至っていないわけで、一時的には前に向かって進んでいくのでしょうが、定期的にお尻を叩き続けなければどこかで歩みを止めてしまいます。問題が発生するたびに無理やり力技でそれを引っ込めようとするという点ではモグラたたきにも似た不毛さがあるわけで、高校在学中はまだしも、卒業してからもお尻を叩き続けることができない以上、結局はその場凌ぎの対策に過ぎないわけです。

 

とはいえ、これらのやり方は根っこの部分では繋がっているわけなので、うまく使い分けながら最終的には生徒が自分自身の力でやる気のスイッチをオンにできるだけの力を身につけさせる方向で考えていくのが良いようにも感じます。「アメとムチ」とはよく言ったものです。

 

 

「やる気」をめぐる旅は続く

 

私自身としては、「教師」という仕事に対して結構前向きに取り組んでいる方だと思っています。手前味噌ながら結構な情熱を注いでいるよなぁと思いながら、日々授業やその他業務の改善に向けてあれこれと動いています。

ただ、そんな「やる気」が出たきっかけは正直な話あまりよく分かっていません。根本にあるのはやはり「新入試制度」に対する危機感なのかなぁと思うと、やはりスタート地点は「絶望」にあったのかもしれません。一方で、素晴らしい公開授業を見る機会に恵まれ、そこに国語の授業の大いなる可能性と、現行のやり方を大きく変えていってもいいんだという勇気を貰ったのも事実であるわけで、そこには「希望」があったというのも確かな事実。うーん、やはり、どう分析してもここまでのやる気を保てている原因は「よく分からん」の一言に尽きます。

何か一つでも歯車がズレていたら、こうしてブログを毎日書くこともなかったのかもしれません。

 

そんなこんなで全くそのメカニズムが解明できない「やる気」という謎パラメータ。自分自身にせよ、生徒にせよ、なんとかうまくコントロールできるようにまだ学び続ける必要がありそうです。