ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。ブログ毎日更新中。

どうせやるのなら、工夫のし甲斐のある仕事がいい

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【目次】

 

 

本日は勤務時間の半分以上をパソコンとにらめっこしてひたすらデータとの戦いでした。学籍データと考査成績の管理作業。

今日一日で自分のデスクと職員室後方のプリンタの間を何度往復したことか分かりません。こういうわずかな移動でも、積み重なるとかなりの無駄な時間になっていることを再認識。

 

あまりにも人と関わらないため、作業をしながら「これって学校に来る必要あるのか?」と何度心の中で思った事か。データにアクセスできるパソコンさえあれば、在宅でもできる簡単なお仕事です。さすがに個人情報を自宅のパソコンで扱おうとは思いませんが。

 

完全なる裏方作業。労力の割には、その大変さをなかなかご理解いただけないもどかしさ。いや、別に頑張ってるぞアピールはしたくないのだけれども……。

 

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もう本当に、こんな仕事はとっととAIに駆逐されるべき。

 

 

授業やクラス運営は工夫の余地の塊

 

連休明けの授業はブランクで本調子が出ないのではないかと心配しましたが、いざ教壇に立ってみると体はしっかりと覚えているもので、難無く進めることができました。やはり授業は楽しいものです。

ただ、自分自身で満足のいく授業は年に数回あるかないかのレベルで、毎回課題を感じながら職員室へと帰ってきます。帰る道すがらも「ああすればよかった」「なぜうまくいかなかったのか」と頭の中で一人反省会。毎日がその繰り返しです。

そして、あれやこれやと思いを巡らす中で、「もっとこうしたらよくなるかも」をハッと思いつき、それをより効果的に実現するための具体策を無い知恵を絞ってひねり出す。教師になってからというものそんな日々が続いています。

 

 

「できない」を「できる」に変える面白さ

 

「『面倒』を『効率よく』する大切さ」でも可。

 

自分自身のことも含めて、周囲をよくよく眺めてみると、改善できそうなのに何も手を付けられていない仕事が散見されます。大抵の場合は、無批判のまま代々継承されている仕事であることが多く、もはやその面倒さを内包した状態が当たり前と化してしまっています。

これって「働き方改革」を考えた上では宝の山だと思うのですよね。こうした無駄を一個ずつ丁寧に取り除いていけば、職場全体の業務量は随分と軽減できそうな気がします。

 

確かに、前例に忠実に従いながら粛々とこなしていけば大きな間違いも起こることなく、周囲からの反感も買いにくいわけですから、多くの人がそうしたがるのも当たり前だともいえます。ただ、時代の流れを考えると、ここらでそろそろ大きく手を加えていくべき局面だと感じるのです。

同じスーツを一生着続けることはできません。体型の変化に応じて仕立て直す必要がありますし、古くなれば新しいものを買い求める必要も出てきます。自分の乗る船が沈みそうな兆候が見えてきたのに、それを指を加えて眺めていることほど愚かなことはありません。生き残るためには、泥臭くもがいていく他ありません。

 

新しいことをするのは多くのエネルギーを消費する一方で、できなかったことがうまくできるようになる面白さや楽しさに気づけば、それは大した苦でもなくなってくるはずです。むしろ、改善に向けた一連のプロセスを楽しめるようにさえなる。

流動性の高い現場で人間を相手に仕事をする教師にこそ、こうした意識は必要になってくると思います。同じ授業スタイルは数年と待たずに古くなってしまいます。そして、そんな頭打ちの状況で騙し騙しお茶を濁すような授業を続けていても状況は何も好転しません。

常に時代の流れや目の前の生徒の様子に合わせた臨機応変なスタイルチェンジが求められる仕事であるからこそ、新たな海に積極的に出てゆき、常に新規開拓を続ける精神は持ち続けたいものです。

 

ブルー・オーシャン・シフト

ブルー・オーシャン・シフト

 

  

と、言うわけで、どうせ同じ空間で同じだけの時間と労力を費やすのならば、少しでも良い方向へと向かうために費やしていきたい。その思いを強くする一日でした。