ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

いつまで「新人」を名乗っていいものなのか、という悩み

ここ数日は、新1年生がドタバタと慌ただしく校内を駆け回る姿を多く目にします。もはや毎年恒例、初春の風物詩ですね。

 

新入生は毎日新しいことの連続で、さぞや心身ともに疲弊しているでしょう。

ただでさえ慣れない環境の中、オリエンテーションという名目で連日膨大な情報を叩き込まれているわけで、これはもう彼らの思考回路はショート寸前でしょう。

ついこの前まで中学生だった初々しさ。関わる身としては非常にほほえましかったりします。いずれはみんな生意気になって高校生活に慣れてそつなく振る舞うことができるようになるわけですが、まだそれは少し先のお話。今は文字通り右も左も分からない状態で多忙を極めているわけです。

せめて、この土日はのんびりと体を休めてほしいものです。

 

 

いつまで「新しい」と言えるのか?

 

かつて「ケンちゃんラーメン」というカップラーメンが人気を博しており、ゴールデンタイムにはテレビコマーシャルが打たれていました。

少し時代がかった古い映像で、タレントの志村けんが「ケンちゃんラーメン新発売だよ~だ♪」とノリノリで歌うコマーシャルが放映されていたわけですが、それを見ながら子ども心に「これはどう見ても新発売ではあるまい」と冷静にツッコんだものでした。

何をもって「新」と言えるのか。そんな問いを幼心に突きつけてくれるCMでした。何十年経っても脳裏に刻み込まれているくらい、凄まじいインパクトを誇る秀逸なフレーズであり、コマーシャルとしては大成功の部類といえるでしょう。

でも、どう考えても「新発売」ではない。なんだろう、このモヤモヤは。全国の少年少女の心に、えも言えぬ消化不良をもたらしたという意味では、とんでもない問題作ですよ、こいつは。

 

www.youtube.com

 

 

「新人」を卒業する時は来るのか?

 

私はもう三十路過ぎの立派なおじさんなわけで、この職場にも十年近く勤め上げています。どう考えても「新人」を自称するのははばかられる年齢です。個人的な気持ちとしては、まだまだ新人気分でもあるような気もしていて、学びたいこと・教えて欲しいことも多いわけです。しかし、もはや周囲の目が「新人」を名乗ることを許してくれない、そんな雰囲気がプンプンするわけです。

 

勤務校では、教師としての経験を持たずに「教員1年生」として入職してきた職員が今年度も多数います。また、初めて担任を受け持つことになった「担任1年生」とも呼べる先生たちも数多くいます。彼らは「新人」として、不慣れな環境の中、わずかな期待と、それを遥かに上回る不安を抱きながら、毎日の業務をこなしていかねばなりません。

 

かつては私も通った道。正直担任を受け持つプレッシャーは副担任の比ではありません。両肩にのしかかってくる責任も桁違いであり、受け持つ生徒達の将来は自分にかかっているのだという責任の重さは、毎日の食欲を減衰させ、朝の目覚めを憂鬱にさせるに十分足るものです。そんなわけで、その責務のあまりの重さに心を押し潰される人が出てくるのもまた事実。

学校現場において、教師にはそれだけの重い責任がのしかかっているわけです。

 

この激動の時代。これまでの「新人」と、これからの「新人」には、かかってくるプレッシャーの質も、意味合いも、きっと大きく異なっていることでしょう。となれば、そうした「新人」を支え、育てる側にも、それなりの認識と時代の趨勢を見据えた上での明確なビジョンが求められているわけです。もはや従前の価値観は通用しない局面に差し掛かっているわけなのですから、「俺の若い頃は……」といった前時代の価値観を一方的に押し付けるわけにはいきません。

 

そうした意味では、それなりの経験を積んだ我々もまた、一種の「新人」であると言っても良いのかもしれません。どのように「新人」をサポートし、教え導いてあげるのか。常に振り返り続けなければなりません。

日々之精進。どんなにキャリアを積んだとて、絶えず学び続けることを求められるのが「学校」と言う現場の厳しさなのでしょう。

 

データから考える教師の働き方入門

データから考える教師の働き方入門

 
「学校」をつくり直す (河出新書)

「学校」をつくり直す (河出新書)