ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

常に考え続けなければならない、という苦悩

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最近色々と考えることばかりである。いや、最近と言わず、物心ついてからはずっと何かしらのことを考え続けている。まぁ、生きている以上、それは当たり前か。

 

私は考えることが好きな性分のため、あれこれと考えることはそこまで苦ではないのだが、さすがに限度というものがあったりする。新年度を迎えるにあたって、いささか考えることに疲れてしまっている。摩擦大きめのハチャメチャが容赦なく押し寄せてくるのである。泣いてる場合じゃねぇ。

 

なぜ人間は知恵の実なんぞを食べてしまったのか。

楽園でいつまでもみんなで楽しくタッタタラリラしていれば、どんなにか楽だっただろう。知性の存在を知ってしまった以上、「知らなかった」状態にはもう二度と戻れない。

 

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

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思考停止の恐ろしさ

 

考えることをやめるのは簡単だ。何もかもを投げ出してしまえばそれでいい。

しかし、それは歩き続けることの放棄に等しい。生きることの放棄であるとも言える。

停滞は腐敗を招き、腐敗は全てを無へと帰す。流れる水が常に清浄でいられるのは、それが常に流れ続けているからに他ならない。考え続ける人間は、停滞の末に朽ち果てる未来を恐れている。

 

授業の際に一瞬躊躇するのは、何かを「教える」ことで、永遠に尽きない思考の無間地獄に生徒を引きずり込んでしまうのではないか、ということである。何も知らない無垢な子どもに、現実を突きつけている残酷さに思いを馳せると、何か罪悪感めいたものも現れてくる。歴史を彩る啓蒙家たちにも、きっと同種の悩みがあったに違いない。

 

いや、それこそ考え過ぎなのかもしれない。もはや自分が何を言っているのかも分からなくなってきた。

 

考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)

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考えすぎるのも考えものである

 

いかん、このブログの基本方針を大きく踏み外し、なんだかわけのわからないことになっている気がする。こんなポエミーな文章を垂れ流すためにブログをしているわけではない。こんなの読んで誰が得をするというのだ。(とか言いながら、せっかく書いたから公開しちゃおう)

やっぱり人間忙しすぎるのはよろしくない。どうも色々ありすぎると、思考がネガティブになりがちである。

 

 

こんな日は酒を飲むに限る。酒を飲んで、猫を愛でて、お布団にダイブして寝る。それに尽きるというものである。

しばらくは年度末の締め作業と、新年度の準備で多忙を極める予定なので、そこそこの文量の記事が続くかもしれません、なにとぞご容赦を。