今日は久々に昼寝をしました。
激動の日々において、ここまでゆっくりと寝ることができたのは本当に久々。ビバ実家。ヒップホッパーばりに実家への感謝があふれて止まりません。
「お昼寝」に市民権を!
そもそも「昼寝」という言葉がわざわざ作られていることがおかしいわけです。それすなわち、「基本的に寝るという行為は夜になされるわけだから、昼に寝ることはちょっと普通ではない」という特別扱いなわけです。もはやこれは差別ですよ、スリハラだよ、スリハラ。(※スリープハラスメント)
何ゆえ昼に寝ることが特別扱いされるのか。人間、眠たい時にいつだって眠ったっていいじゃない。
そら、ネコたちを見てごらんなさいよ。彼らはいついかなる時だって、気の赴くままに惰眠を貪っているじゃないか。あの幸せそうな寝顔、睡眠が十分に足りているからこそ、ネコの世界には不毛な争いは存在しないのです。たまに縄張りを争って「ハギャベバブジョハ!」とか言い合っているけれど、あれは安眠できる領土を確保するための行為だから、仕方ない。
ただ気の向くままあちこちを徘徊し、ちょっと疲れたらどこか陽の当たる場所でポカポカとひなたぼっこをする。これぞ全生物の理想とする姿。絶対に譲れない「眠り」がそこにある。
社会人に休養を!
大学生の頃は、講義が無い時間帯は(下手すれば講義を自主休講にしてまで)隙さえあればそれこそネコのように家でゴロゴロと寝ていました。今にして思えば、本当に自由を謳歌していた素晴らしき時代でした。人生の夏休みとはよく言ったものです。
なもんだから、社会人になってからのギャップと言うものはそれはもう凄まじいものがあったことを覚えています。なぜ人間は働かねばならぬのか、という、哲学的問いの皮を被った単純な駄々を毎日こねくり回していました。なぜ社会人は毎日「ミヤネ屋」を見ながらうたた寝することが許されないのか、なぜコーラとポテチを片手に、三時半から始まる「古畑任三郎」の再放送を視聴することが叶わないのか。日本の就労システムは狂っている。と、社会人一年生の私は割とマジで思っていました。
そんな飽くなきまでの「お昼寝」に対する激情にも似た想いを押し殺しながら、血涙を流す勢いで働いていたことを昨日のことのように思い出します。
「大学生」という身分が与えてくれた、自由な時間。それは「お昼寝タイム」をもたらしてくれ、私は18歳でした。
その寝心地は最高に気持ちがよくて、こんな素晴らしい生活を送れる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。
そんな私も今では立派な社会の歯車の構成員。家に帰りつくのはもちろん日が落ちた夕刻過ぎ。なぜなら教育という現場もまた、特別な存在だからです。
人生に、安息を。
さて、睡眠十分で絶好調である(教育的な話を一切していないのは、この際無視しましょう)。
物心ついたときから、常々人間には「お昼寝」と「冬眠」が必要だと思っているのですが、いかがでしょう?
これ、マニフェストに掲げたら、議員になれたりしないですかね?