ネコとコーラと国語と私

私立高校勤務の国語教師が感じた教育に関するあれこれ。あとたまにネコとかコーラとか。

異文化の融合がイノベーションを創出する  ――「教師の世間知らず」とは?

 

本日は新幹線に乗っての日帰り出張。


教育とは直接には関係の無いイベントへの参加でしたが、教師は「学校」という非常に狭い世界に閉じこもっていることが多いため、こうして外の世界の空気を吸えるのは非常にありがたいところ。(田舎の学校ゆえに他校との交流も乏しいのが現状。都市部のように、もっと教員間の交流を持たねばならないのですが……、ままならないものです。)


イベントの趣旨は「イノベーションの創出」。これは学校を改革していく上でも確実に必要な考え方で、非常に示唆に富む内容でした。


やはり外に飛び出して、広く世間の見聞を拾い上げることは大切です。

 


「教師の世間知らず」

 

よく「教師は世間を知らない」と言われます。しかし、いつも思うことはそもそも「世間って何だ?」「どういう状態になれば世間というものを知り尽くしていると言えるのか?」ということ。業績を上げるための企業努力の経験とか、営業回りの大変さとか、何かそういうことを指して言っているのでしょうか? 要するにビジネスのイロハを知らない、と言うことなのでしょうか?

 

確かに、教育は「カネ」の話を嫌う傾向があるためそうした意見が出やすいのもまた事実なのでしょう。これについてはいつも思うのですが、現代社会は子どもから「カネ」と「死」を遠ざけすぎているような気がします。どちらもこの人間社会で生きていくには必要な知識なのに、何故か教育の現場ではそうした話を子どもにするのはタブーになっている。これは実におかしな話である。


「カネ」のことを美化する必要など無いのです。カネはカネ。その力の強大さと、それゆえに起こるあらゆるトラブルを示し、それに対処するだけの能力を伝授する方が、子どものことを思えば遥かに誠実というものでしょう。都合よく加工された博物館の展示写真のような世界ばかりを見せられた子供たちが、社会に放り出されてから待っているのは過酷な現実。それってあまりにも無責任すぎやしないか?

 

書いていて思ったけれど、やっぱり学校はアップデートしなきゃいけない部分は結構ありますね。現代では、「情報化」「国際化」「少子高齢化」などを筆頭に、あらゆる変化が複合的に絡み合いながら我々の生活を脅かしています。そこにおいて公教育の担う責任は果てしなく大きい。まずは教える側である我々が時代の波をしっかりと捉えなければいけないのは確実です。

 

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学校に寄せる期待の裏返しなんですかね? 「教員の世間知らず」って非難は。

 


でも、「世間を知らねばならない」というのは、なにも学校だけに限った話ではなく日本全体の課題です。

 


時代の流れを正確に読みきり、適切なタイミングで舵を切る。人生はその繰り返しです。たまたま大きな変化が長らく起こらない時代もあれば、激動の大嵐に見舞われる局面も必ず存在する。そして、今の我々がまさにその局面にいるということに、果たしてどれくらいの人が気づいているだろう? ペリーが黒船率いてやって来た時以上のインパクトだと思うのですが。

 


餅は餅屋

 

保護者が子どもを持たない教師に対して「あなたは子育てを経験したことが無い」と言って非難する様子もよく目にする光景。


確かに、子育ての経験によって学校教育へと転用可能な経験則を得ることもあるのでしょう。しかし、それは必ずしも必要条件ではありえない。
そもそも、こちとらプロのライセンスを持つ専門家である。行っているのは「家庭教育」ではなく、「学校教育」。そもそもの土俵が違うわけで、上のような非難は大抵がお門違いである場合が多いように思います。「逆に聞きしますが、あなたは然るべき機関にて専門的に教育学を修めた経験がおありですか?」ぐらい言い返してやりましょう。

 

もちろん、保有するライセンスに恥じることの無いよう、時代の流れに即応すべく研鑽と修養を積み続ける必要はあります。それがプロ意識ってもんでしょう。パソコンやスマホと同じ、環境の変化に対応した自己のアップデートは忘れてはいけません。現状維持は、相対的な目で見れば衰退と同義です。

教育界は日進月歩。時代や環境といった大きな外的要因はもちろんのこと、たった1人の転校生を迎え入れただけでもガラッと方針を変えねばならぬことだってあるわけです。

 

「教師」という肩書があるから偉いわけではない。教師が尊敬されるのは、「教育者たろう」とする、そのありようにあると思うのです。

 

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そのあたりを勘違いをして張子の虎になってはいけない。
そんな思いあがりを抱いた時点で、我々の持つ教員免許状は10年後の免許失効を待つまでもなく、もう既に紙切れ同然なわけです。

 

 

イノベーターをいかに生み出すか


壮大に話が逸れてしまった。若造の分際でやたら偉そうな物言いをしてしまいました。

要は、物事を単独の観点から捉えることに終始し、多様性を取り込む努力を怠るのはこれからの時代では危険だ、という話がしたいわけです。


教育の現場に限らず、どの分野だって他領域との融合は不可欠な時代です。
いかなる分野も、単独の知見のみでのイノベーションは難しい。それこそ化学反応のように、異なる分野同士を掛け合わせながら新たな価値観を創出する視点が必要になってきます。

それを考えたら生徒に文系と理系を選択させ、学びの内容を強制的に分断している現状はやや時代遅れなシステムです。カリキュラムや入試制度との兼ね合いがあるのは重々承知ですが、幅広く教養を養うリベラルアーツの考え方を本格的に導入していかねばならない。


斬新なアイデアを創出するための煮え滾るような情熱と、それを持続可能な一つの型へと落とし込んでいく理知的な判断、そのどちらもが不可欠です。
冷静と情熱のあいだを泳ぎ切るだけのタフネスを備えた人間の育成。これが今からの学校が目指すべき方向性になるような気がします。



これからの時代に柔軟に対応できる人材を輩出するためには、一見無関係だと思われるものから本質的な共通点を見出して流用させていく、そんな「具体と抽象を自由自在に使い分ける能力」を育てていかねばならないと、改めて考えたところでした。

 

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ちょっと余熱が冷めきらず今日は思考がまとまりきっていないですが、これからの授業の方向性を見つめ直すことのできる充実した出張でした。