結論から言いいます。決して特効薬ではありません。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、これは別にICT機器に限った話では無いということです。
これまでの教育現場でもそうだったはずですが、どんな機器や教材だって、導入するだけで即時的に劇的な変化をもたらしてくれるものなどありません。程度の差はあれど、これは確実に言えることです。
要は、「何を使うのか」ということに加えて、それを「何のため」「どのように」使うのか。それが肝であるわけで、「導入すればそれだけで勝手に事態が好転していく」なんて夢みたいなことは起こるわけがないのです。そんなドラえもんじゃあるまいし。
どうも、技術革新の目まぐるしさが、世の中に広く「AI=万能」という勘違いを生んでいるようにも感じます。
先日読んだ『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)でも語られていましたが、
決してAIは万能ではありません。人間の能力をすべて代替することなど、ありえないわけです。
そんなこんなで、どうもここのところ技術進歩の現実と、人々の認識とが乖離してしまっている感は拭えません。
更には、技術の進歩が急速に進んだ結果自由度が高くなりすぎた、というのもなかなかに厄介な問題です。
「自由度が高すぎると、人は逆に何をしていいのかわからなくなる」という現象が、今まさにICTを取り巻く教育現場で同時多発的に発生しているように感じます。
何でもできるが故の悲劇。出木杉君がその優秀さゆえに扱いどころが難しく、劇場版ドラえもんでオファーがかからないのと、おんなじ原理ですね。(※違います)
少し話が逸れましたが、どんな機器であれ、要は「どう教育に生かしていくのか」をしっかりとイメージすることが大切なわけです。
そのためにも、まずは我々が「タブレットなどのICT機器は、知的生産や深い学びを促すツールとして有用である」という認識を持つことが大切になってきます。
決して「こんなおもちゃで何ができるの?」という意識ではいけません。それだと、かなり高確率で「少し使っただけで、あとは埃を被ってます」状態になってしまいかねません。
私の勤務校では、なんと幸いなことに、全生徒にタブレットが配布されています。
これは現在の教育現場の水準で言えば、かなり先進的な環境といえるでしょう。本当に恵まれています。
ただ、繰り返しになりますが、今後は「それをどのように教育現場に最適化させていくのか」、という視点が必要になってきます。
そんなこんなでこれからは、機器と現場を上手に結び付けることのできる発想を持った人材に対する需要が高まってくるでしょう。
外部からそうした優秀な人材を引き込むか、自分たちできちんと学んでいくか。の二者択一。
時代が変わっていく以上、学びは尽きないものですね。